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ストマックいたい

 タイトル通り、どうにもこうにも、胃痛である。
 緊張したり、嫌な感じがすると穏やかだったはずの胃が悲鳴をあげる。もう10年以上はこれと付き合っているからわかって来た。この痛みは基本的に自信がなくて、逃げたいと思っているとき、あるいは、普段親しい人と真面目に話し合うときに出てくる。寧ろ初対面の方が緊張しないのである。なぜなら、初対面の方がどのように接してくるか分らないから、もっというとそのシミュレーションをいくらしても可能性が無限大過ぎてどうしようもないからだ。だから緊張はするが、ここまでではない。一種の開き直りでのびのびしている。だが、親しい人となると訳が違う。これまで関わってきた経験則がどうしようもなく、悪い方向、悪い方向へと考えを向かわせるのだ。それが胃痛として表れる。
 幻滅されたらどうしようとか、全然心構えできてないんだけどとか、一応自分なりにやってきたけど相手からしたらそのレベルが下回っていて絶望されるんだろうなとか、相手が人格否定をしてくるのではないかとか、そういうことを考える。だが、私とこのような場面をむかえる人たちというのは大抵人間が出来ているので、杞憂であることが多い。なので、こういうことを考えるのは正直、無駄でしかない。では、なぜこのようなことを考えるのか。それは、不真面目だった時期にしこたま怒られたトラウマと単純に気の向かないことに対して異様なほどストレスをためやすい性質だからだと考えている。
 前者に関しては、もう仕方ない。不真面目だった自分の自業自得である。そして、その不真面目さは抜け切れていないかもしれないが最盛期よりはマシになっているはずだ。多分。きっと。もう少し自分に自信を持ちたい。
 問題は後者である。これはびっくりするほど改善しない。私は自分の気の向くこと、好きなことに付随してくるストレス、たとえば資格取得の勉強、好きなことに関連する苦手な分野の勉強、長時間の活動、苦手な人間や物事から逃れるための行動はそこそこに耐えられたり迅速に対応できる。
 しかし、こと苦手に向き合わないといけない場合、関連ではなく、それをしないと乗り越えられない場合、もう本当に嫌になる。全てから逃げたくなる。というか不真面目な時期は逃げていた。だが、人間、そこそこに大きくなるとそうもいかなくなる。もうどうしようもなくそれに向き合わないといけない、向き合わないと後悔することって少しはあるのだ。
 だが、そうは思えども、私の身体はなかなか受け付けてくれない。こう書いてる間もしっかり痛い。ネットの情報がどこまで信用できるか分からないが、「胃痛 緊張」で調べてみた。こういう胃痛は自律神経のせいらしい。なるほど、自律神経。私が弱いやつね。対処法はストレスをためないことらしい。なるほど、つまりどうしようもないってことね。とりあえず、大きな猫の写真みるか。


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