或る街

 久しぶりにnoteを書く。正直、書いている場合ではないのだが、どうにも集中できないのでなにかしら綴ってみたい。
 ここ最近、県外へいく用事があった。訪れたのは、最近まで住んでいた街だったので、懐かしいというには身体に馴染みすぎている感があった。だが、そんな短期間離れていただけにもかかわらず、その風景の一部は真新しいものになっていた。特に中心街は見かけない店や建物が増えていた。整然とした様子は新鮮だが、どこかまぶしすぎて目にやさしくない。物が片されてさっぱりとした空き地は、予定はないのに隠れられる場所がないじゃないかと文句が出そうになった。そんな勝手な気持ちは置き去りにされて、正しく街が綺麗になっていく。
 なんとなく、横浜開港時の浮世絵が浮かんだ。江戸時代のおわりと、近代のはじまりを表すように、日本の見た目が変わっていく様子が描かれている。ここで重要なのは、その描き方は従来と変わっていないということだ。描く対象が変わっただけで、その筆致や絵柄なんかは江戸時代と同じだ。変わらないというよりも、変えれないという方が近いかもしれない。当時の変わりようは凄まじく、長年根付いた絵の描き方はそれに適応できないのだ。うまくいえないが物理的な現実と精神的な現実の乖離、みたいなものかもしれない。だから、日本が変わるのではなく、日本の「見た目」が変わったのだ。
 近世から近代の江戸・東京の変化、とはいかないまでも、私が訪れた街も変化していた。そしてやはり、私の精神は街にすぐに適応できなかった。「昔は良かった」という感情のはじまりはきっとここら辺からきているのかもしれない。
 ただそれでも、街の根底は変わってはいない。時間の流れと街の変化は一体化しているようで、恐らく少しずれている。街と時間が並走しているというよりも、すこし時間がリードしている、そんな感じ。
 なんとなく上を向いた。変わった街は相変わらず、狭くて窮屈で、空が高い。片しても片してもまたどこかで物があふれてくるようなそんな街。私はそんなところが愛おしいなと思う。


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