073 #100日後にムスリムになる僕
意識する。
イスラームには2面性があるような気がする。
平和的な面と好戦的な面のふたつ。
ライターの常見藤代さんの著作である「イスラム流 幸せな生き方(光文社)」に代表されるような、旅人に親切なイスラーム、平和的なイスラーム。
逆に昨日のテキストで書いたような「ジハードも辞さない」教義に忠実な好戦的なイスラーム。
少しでもイスラームを勉強すると、この二つともひとつの宗教・教義の中に相反することなく共存していることが分かる。
ムスリム(神に帰依する者)としてはこの二つは矛盾することなく、割合の具合でそれぞれの中に「ある」ような気がする。なぜなら二つの面はどちらもアッラーからの命令として「ある」からである。
今現在は非ムスリムの僕にすれば、この二つは矛盾になりうる可能性をもっているけれども、ムスリムになったら非ムスリムには理解し得ない整合性をもって、僕の中に内含するのかも知れません。
神の啓示である聖典「クルアーン」は解釈に多様性があると言われてます。だからこそイスラーム法学が発展したのですし、僕からするとそれが「柔軟性」にうつり、イスラームの魅力となっています。
その都度その都度、TPOに合わせて解釈をしても良いというのは、ご都合主義と言われればその通りだけれども、ご都合主義が悪いのは誰かにとってなので、気にすることもなく。
ムス#ムスリムになるまであと27日リムになったときのテーマのひとつとして、この「2面性の矛盾」をいかに内含するかを掘り下げるのは面白いかも知れません。
まあ、とにもかくにも、常にアッラーを意識することというのは、それがクルアーンに沿う限りは神の意思であると理解することになるので、すべてはアッラーに帰ります、なのです。