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#004 僕のラマダーン日記

アッサラーム・アライクム。
無事に4日目のラマダーンが終了しました。
アルハムド・リッラー。

今日はがっつりとお休みの日だったので、
1日中寝ていたいので、ラマダーンタイムはほぼ回避。
辛いことなんて全くなかったのです。

眠ることは「死んでいる状態」みたいなものだといいます。
意識がないからというのがその理由なのですが、まあ、生きています。

とはいえ、だいたい深夜から早朝にかけて行われる義務の礼拝のひとつである朝の礼拝(ファジュル)は、日本だと目覚し時計、イスラーム文化圏ではアザーンとかで起きて、ウドゥー(浄化)して、礼拝をするわけです。
このアザーンなどで起こされる行為は、死んだ後に墓場から呼び起こされる「審判への呼びだし」と同じだと思えと言われています。

僕たちムスリムは「最後の審判」で「天国行き」の判決をされるためにアッラーの道に勤しんでいるので、「やっと呼び出された!」と我先にと起き出します。

その審判の時に、いい方に便宜を計ってくれるのが、偉大なる預言者ムハンマド(PUBM)様なのですが、この時、同じ名前の者にはよりご配慮してくださると言われています。なので、僕のムスリムネームには「ムハンマド」が入っているのです。余談ですけど。

礼拝のために眠りから目覚めて起きることはそれと同じと思え。ということです。

最初に書いた通り、礼拝をいくつか完全に寝過ごしているので、本当に申し訳ないなと思うわけです。このお詫びは夜の礼拝の時にきっちりとします。

とはいえ、なのです。

眠っている間、死んでいる状態とはいえ、生きているのでお腹も減るし、血中のニコチンも減るので飢餓状態になっているはず。
なのに、その間はほとんど辛くないわけです。
(本当に飢餓のときは寝れないですけどね)

この心理状態や肉体の状態で過ごせば、辛くないのではないか?と思う。
こうなるための訓練が坐禅的な修行だったりするのだろうなあと得心するのですが、イスラームの場合はやはりそうではなくて、辛い状態を存分に味わいつつ、貧しい人たちに心を砕き、ラマダン明けのイフタールを大いに楽しめよ、なので、辛いを実感するのはアッラーの道なのだろうなあと思うのです。

さて、明日は色々と予定があるので、コーヒーとタバコが吸えるうちに仕事をしようと思います。

みなさんの生活がよりよいものになるようにお祈り申し上げます。
Insha'Allah

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