013 #100日後にムスリムになる僕
なぜイスーラムなのか?⑥
現代の日本人と宗教について(1)
人類の有史以来、さまざな宗教が生まれました。誰にも必要とされない宗教などは存在しないので、誰かしらの心の拠り所になって、今現在たくさんの宗教が存在します。
世界三大宗教。
キリスト教、イスラーム(イスラム教)、仏教。この三つがそう言われています。ご存知の方も多いかと思いますが、これは信仰人口のベスト3ではありません。思想体系的に人類に影響を与えつづけている3つの宗教という意味です。では信仰人口的にはどうかといいますと、上からキリスト教、イスラーム、ヒンズー教となります。
とある統計によれば無信仰・無神論者は世界人口のおよそ14%なので、つまり世界の86%の人は何かしら信仰というものをもって生活をしているということです。
日本で宗教というと、いい宗教とわるい宗教という二極化した価値観があったりします。僕は今年で43歳になりましたが、実は24歳ぐらいのときからTVを所有しないで生活しています。約20年間、バイアスのかかったメディアが側にない生活を送っているので、いま、TVで宗教がどのように扱われているのは定かではありませんが、僕がTVを所有していた(観ていた)時代、宗教は色々な意味でクローズアップされていました。
オウム真理教は言わずもがなで、統一教会、幸福の科学、創価学会、ライフスペース、パナウェーブ研究所、9.11アメリカ同時多発テロ以降はイスラームなど、メディアは執拗にキリスト教と仏教、神道以外の宗教を面白おかしく扱ったり、非難したりしていました。もちろんキリスト教や仏教もノータッチではなかったとは思うのですが、体感としては仏教を扱うときは「みんなが知らなかった知識」とか「そうだったのか!」的な知的探求みたいなニュアンスでした。
日本の憲法では、
第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
とされてはいるのですが、政治に関してもメディアの扱いにしてもどうもそれだけではないよなあという感じはしますよね。
何が言いたいかというと、特定の宗教は割と大事にされている、保護されているのはないかという面が垣間見れる。
それ自体に対して、僕はいいもわるいもないといいますが、そりゃあ、そうだろう、それが人間という生き物だろうという風に、むしろ肯定的に解釈しています。
日本人の潜在意識の中には「いい宗教」と「わるい宗教」が刷り込まれています。もっというと「宗教」に関してあまり大声で批評・批判できない自制心的なものもある。これは「信教の自由」を侵してはいけないということでもありますし、信仰はとてもナーバスでデリケートな問題であるという認識でもあると思います。
しかし、新興宗教に関しては少し話が別になる。創価学会は今でも新興宗教(新興宗教の定義は近代化以降に起源をもつ宗教という認識です)の中ではマジョリティだと思うのですが、それ以外の新興宗教はけっこう槍玉に挙げられます。それは「わるい宗教」と扱っても傷つく人が少ないからいいやという見極めを感じます。
仏教を揶揄することは日本人としての文化のルーツを揶揄することになりかねないので、それを遠慮するのもわかる。でもキリスト教はどうなの?という疑問が僕にはあります。
日本におけるキリスト教の歴史って、いわゆる「踏み絵」に代表される「虐げられた歴史」というイメージがとても大きく、そしてキリスト教は「ザ・西洋」という近代的先進国の華々しい宗教というイメージもあります(このイメージは僕のTV時代に培われたものと僕のキリスト教体験からです)。
けれども、キリスト教って世界史的にみたらやりたい放題やってきた強い宗教だという事実があるわけです。だって世界で一番信仰人口が多いわけですから。
日本でキリスト教が根付いているのか、いないのかで言えば、形骸的には根付いていると僕は解釈しています。クリスマスというのがまさにその象徴で最たるものですし、ここでクリスマスしかないというのが日本人の宗教観とマッチしていて素敵だなあとも思います。
つづきます。