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080 #100日後にムスリムになる僕
親切とかやさしさとか。
たぶん、このnoteを読んでいるみなさんが経験したことのないことを僕はしている自信があります。
それはホームレスをやったこと、です。
2ヶ月ほど、小さい軽自動車で車中生活をしていました。理由は色々とあるのですが、死のうと思っていたからです。
なんだかんだ言ってもこのnoteを書いているので生き延びているのですが、自暴自棄になっていた頃、そんな生活を送っていました。
当時は滋賀県に住んでいました。
京都から引っ越したのですが、理由は「バス釣り」をとことんやるためでした。
当時は会社の寮に住んでいたのですが、色々とあってそこから飛び出して、軽自動車で生活していました。
貯金なんてほとんどなかったので、少しづつ使っていってもお金は尽きるわけです。
当時、釣り仲間が何人もいまして、琵琶湖湖畔の駐車場で僕が車の中で寝ていると「コンコン」と窓を叩いて、友人が遊び?に来てくれました。
そんな時はたいてい、
「めし、くってるか?」と言って、ご飯をご馳走してくれました。
これが本当に嬉しかったし、本当に救われたと思いました。
タイのあいさつのひとつに「ヒウ・カーオ・マイ?(お腹減ってないかい?)」というのがあります。とても有名な「サワディークラップ(カー)」とほぼ同じように使うのですが「お腹が減っていないか?めし、ちゃんと食ってる?」って、衣食住に事足りた生活をしていたらその言葉の真意はわからないなあと思います。少なくともタイにいた頃はわからなかった。
こういう経験があるせいか、ご飯をおごるとかおごられるとか、そういう生に直結することに、心が動かされます。
ヘッダーの写真はバングラデシュ系ムスリムの友人がお弁当にして会社に持って来てくれたアヒルのカレーと豆ごはんです。
僕と一緒に働いているので、僕がちゃんと生活している/仕事をして稼いでいることを知っているはずなのですが、こういう食に関する優しさとか思いやりとかに、グッと来るのです。
ムスリムなら喜捨することが当たり前。食に困っている人がいたら食べ物を分けるのは当たり前のこと。(僕は今は困ってないですけれども!)
これって、本当にすごいことだし、素晴らしいことだと思うのです。
本当に食べることに不自由した人にしかわからない感覚なので、共感してもらえることではないのですが、この感覚を僕は死ぬまで忘れないでしょう。
ムスリムなったら僕はこういうこと、食べ物を分け与えることには、より真摯に向き合いたいと思います。
現代の日本ではなかなか食に困る人は少ないとは思いますが、日本でも、また世界各地の貧困地域への寄付でも、そういうのはしていきたい。
食。本当に大事です。