雑文(部屋)
「部屋」には時間を超える力がある。
換言すれば、部屋には時間を置き去りにする力がある。
自分一人、もしくは他少数の内輪な関係者、家具などのモノ、音、匂い、すべての三次元的空間を構成し、また内包し、閉ざすことのできる内界である。
ここでいう「部屋」とは、現実世界の我々人間の住む、至極一般的な部屋がベースだ。もちろんあなたの今現在住む部屋も、それを模したネットゲームの中のフィールドも、創作の中に舞台として登場する部屋も、四つの壁で囲まれてさえいればどれもが「部屋」であるといえる。(おおよその人間は四つの壁で囲まれた部屋に住んでいると思う)
自分が住む形と地続きの空間ゆえ、定まった内をイメージしやすい。
さて、この、「部屋」の存在は面白い。
①幼少期に少しだけ触った『メイプルストーリー』というオンライゲームに登場する、「カニングスクエア」なるフィールドがある。そこのフィールドのBGMを聴くと今でも当時の様子を鮮明に思い出せる。メイプルストーリーに本腰を入れてプレイしていたわけでもない、カニングスクエアに思い入れがあるわけでもない、しかしこのBGMを聴くと小学生の頃の夏休み、その瞬間、家族の座っていた位置、当時のリビングの家具の間取り、匂い、気温、湿気、前後に何を食べたか、までまざまざと思い出せる。
時間を遡ればいまもそのリビングは現在である。が、その瞬間そのものを保持した存在はもうない。しかし、(私の場合は)カニングスクエア のBGMを聴くとその存在が頭の中に思い描かれる。
②友人が神奈川の都市部に引っ越したことがあった。
その友人と一日遊んだ後、家に泊まらせてもらうことになった。
「掃除するからちょっと外で待ってて」と言われて、ぽけーっと見慣れない土地の夜景をそのマンションの上階から見ていた。
激安の殿堂やコンビニで肌着だけ買って衣食住をありがたく享受した。なんなら数日居着いた。カーテンの開いた窓の外からさっきの夜景がちょっとだけ見えていて、部屋着で談笑する自分たちが反射していた。
時はたち、友人の都合は終わり、あっさりとその友人は実家に帰った。
さて、あの部屋はもうない。物理的に今もあの部屋は存在しているはずなのに、生々しいリアルを内包したあの部屋はもう友人の(借りる)ものではない。窓を開けて室内が冷たい空気に一新されたように、私の好きなあの部屋はもうない。
話を戻すと、①②に見る、これらの存在/非存在の認識が、たまに倒錯する。
あの「部屋」はもう私の頭の中にしか存在できないし、②に関しては多分、友人の感じていた、部屋に対して思う事柄は私のものとまったく全く違うはずだ。
あるのにないのと、ないのにあるのが倒錯して混濁する。
しかし、何かをきっかけにそれらは再構築される。きわめて個人的な内界に、個人しか知り得ない何かに誘起されて、個人にしか利がない何かが内包された「部屋」が構築される。これがすごく、私にとって面白い。
なにかそこに意味があってほしいのに、まだ自分ではわからない。トラウマや未練があるなど、わかりやすければまだいい。何事もないはずの空間に、なにか執着しているようで怖いようでもある。
存在しない内界を『ある』にしてしまう行為の筆頭が創作だと思う。
先の話でいうと何かをインプットされた個人が情趣に富んでいなければ創作は生まれない(私が思うに、メンタルが弱い且つ、感受性が豊か)。
四方に囲まれた「部屋」というのは、きわめてその情景を構築しやすい。求める雰囲気を楽に内包できて、コスパがいい。現実・創作に関わらず、その場に一瞬にしてワープできてしまう、飛び込めてしまうという特性を持っている。(かてて加えて、窓もなかなかメタファーとしてぴったりだと思う上、より話をややこしくさせる存在と思う。わかりやすく内界と外界を繋ぐ境界のため)
以上とりとめのないですが、ダウンに入ったときに思ったことでした。