セオリー通り
その方があんぱい。
セオリー通りの方が大衆的好感も得られるし、自分を危険な目に合わせることもない。
確かにそうだし、私生活の中ではそうした方がマナーがあり、モラルがある。
普段の行動や仕事においてはセオリーを重んじるべき時がある。
ただ、私自身が惹かれたり、興味が出たり、気になったりするものはセオリー通りではないものが多い。
小説やドラマ、映画をみていると自分なりにセオリーを追ってストリーを予測したり、自分の中で作り上げる。それ通りにいく時なんだかつまらなかったり、はたまた安心したりする。
それとは逆に、自分の予想を裏切られた時言葉にはできないドキドキ感やスカッとした気持ちになることがある。そして続きがあれば気になる。
それは大衆的感情の方向や、意見を作者がよく理解しているのだと思う。
だいたいみんなはこうするよなとか、こう思うよなとか。
わかっているからこそ裏をかける。
リスクはあるかもしれないし、理解されないかもしれない可能性の方が大きい。
それでもそのリスクを取るからこそ、見える世界や評価がある。
そもそも作者にとってはそれはリスクではないのかもしれない。
一見矛盾しているようなことが、そうでなくなる瞬間人は惹きつけられる。