単細胞なユーティリティー
万能
都合の良い言葉だ。
こう言われることは悪いことではないと思っていた。
サラリーマン時代はよく言われた。
広義的な意味合いで良い意味だと思っていたし、自分自身が特別な人間(そのコミュニティの中で)と思わせた。
しかし今一度考えてみる。
そうすると万能とは良い意味に聞こえる。仕事面においては。ふと考えてみると万能って良いのか?という疑問が浮かんだ。
色々なことを知っていたり、できたりする。大体この人に聞けばわかる。それってある意味では秀でているものなのか?
便利屋的要素で使われていることの方が多くないか?
あの人に聞けば大体わかるからこのぐらいのことはあの人に聞いてすましておこう。
そんな風に捉えられていたとすると。
サラリーマン時代を振り返ると、時間と期日と数字に追われていた。
何か新たなものをスタートさせると、自分は気になって仕方がなかった。何を始めるのかも気になるし、それをどう使うのか、どう効果があるのか、どういう使い方ができるのか。そんなことばっかりだった。
確かにそれを考えることで自分の思考にはなったし、担当にあなることも多かった。でもそのせいで、時間と期日と数字に追われた。
周りの人とさほど給料は変わらない。でも仕事量は圧倒的に違っていたし退社時間も全然違った。
君は万能タイプで仕事できる人やね。
そう言われると正直嬉しかった。
なんでも大体できる。大体なんでも知ってる。
聞かれたことには答えられる。それが自信でもあった。
万能こそが全てぐらいに思っていた。
よく考えると、そこには自分の意思が弱いものが多いことに気づいた。
目的は万能であること。
その目的に対しての熱量が高かっただけで、その内容については並だった。
自分では複数のことがわかる多細胞だと勘違いしていた。
万能というものに縛り付けられていた単細胞だった。
内容についてもっともっと深掘りしなければ。
今は一つのことを深く考えることに時間を費やそう。
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