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バイト先の雀荘で出会った、今でも忘れられない人

映画「ボクたちはみんな大人になれなかった」の舞台は90年代の渋谷だった。原作の燃え殻さんとはほぼ同世代。物語とはいえ、映画で描かれていた細かいディテールは、私の心臓をぎゅっと掴むような思いにさせられる。あの時代の空気感が手に取るように伝わってくると同時に、もう2度と戻ることがないんだなあと渇いた笑いも浮かんでくる。

当時大学生だった私は小田急沿線に住み、大学は中野方面。バイトも遊び先もすべてが新宿に凝縮されていた。ということで、思い入れはどちらかというと新宿エリアの方が強い。そして私もあの頃、映画に出てくるかおりのように、ダサいと思われること、フツーであることをわけもなく忌み嫌った。

渋谷の駅前や宇田川町の安居酒屋が集まるビルの前でどんちゃん騒ぎをする、サークルジャンパーを着ている集団の一人には絶対になりたくないと思っていたし、ヒットチャートにのるようなJ‐POPも聞かなかった。ただ、YOUTUBEもSpotifyもなかったあの頃、ドラマやCMでタイアップがつけば、シングルが爆売れする時代。避けていたつもりでも、自然と耳に入ってくる環境だったので、90年代ポップスは今でも聞けば「ああ、あのシンガーの」と懐かしさに襲われてしまう。避けていたなんて言うのが恥ずかしいほど、曲の偉大さ、ミリオンセラーの力を痛感するのだ。

私が選んだバイト先は新宿駅前の雑居ビル3Fにあった雀荘だった。過去形になっているのは、その跡地には今、飲食店が入居しているからだ。本当は友達がやっていた六本木のキャバクラでバイトをしたかったのだが、体験入店時、タバコに火をつけようとライターで客の髪の毛を燃やしてしまい、速攻でクビ。愛想も器量もさしてよくなかったし、そもそも夜の世界が向いてなかったのだ。かといってフツーであることを嫌っていた私は同級生とは違うバイトがしたくて、求人雑誌「an」で見つけた雀荘に目をつけた。面接をしてくれた店長は人がよく、左の小指だけ爪を伸ばしていたのを今でもよく覚えている。幸いにも「大学生バイトが欲しかった」と即採用。ミニスカート着用との店長命令があったけど、キャバクラのような接客がなかったのが救いだった。

雀荘バイトを始め、1カ月くらい経った頃だろうか。夜になっても客足が途絶えることのない店内を見渡すと、お客さんはテレビで見たことのある顔や社会的地位が高いとされる職業に付いている人ばかりであることを知った。今思えば客筋がよかったのかもしれない。お酒も出したけど泥酔して騒ぐ人なんていなかったし、みんなキレイな打ち方をしていたのだ。ただ、トイレに注射針が落ちていた時は、新宿という土地柄を強く感じずにはいられなかった。ついでに思い出したのが当時、新宿の駅前を歩くと男が舌打ちしながら近づいてくることがあった。これが何を意味するのか全く分からなかったので、店長に尋ねると「シンナー売ってるんだよ」と。中学生の頃、シンナーで髪を脱色したり、吸い過ぎて歯が溶けた不良の同級生がいたが、大学生だった私は「いまだにシンナーなんて吸う人いるんだ…」と衝撃を受けたことを令和の今でも鮮明に覚えている。

雀荘バイトでどうしても忘れられないお客さんがいる。店長から「常連の将棋の棋士」と聞かされていたその人は、一度店にきたら何時間も居座り、真剣勝負そのものの顔つきで打っていたのだ。たかが麻雀なのに…と不思議で仕方なかった。

「あの人、何時間もいて疲れないんですかね?全然楽しそうじゃないし」。店長にそう軽口をたたくと、「それでいいんだよ」と目を細めて彼の座る卓を見つめていた。

その棋士が亡くなっていたと知ったのは、バイトを辞めてもう10年以上経った頃だったろうか。彼の生き様が物語になったというニュースを見て、持病を抱えていたことをその時初めて知った。どんな勝負でも手を抜かなかったのかもしれない。気迫のこもった表情で、だけど静かに牌に触れていた姿に、そんなことを思わずにはいられない。

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