Quoted from the past

大河ドラマ『青天を衝け』を、いまのところ毎週一緒に視聴している母が携帯を見ながら言った。「渋沢栄一が今も生きていたらどんなことをしていただろうねって、話題になってるよ」。私は、そう、としか答えなかった。それを言うなら過去の偉人さんみんなに蘇ってもらって皆さんに聞いて回りたいよ、と思ったが面倒くさくて言うのをやめた。蘇ってくださるのなら、私が人知れず読み進めているフィッツジェラルドに、コロナ禍で人っ子一人いなくなったNYをどのように描きますか?と尋ねてみたかったと思いつつ、これも言わなかった。
あの人が今を生きていたらどうしていただろう?という問いに、正確な答えなんて出せるわけないが、手がかりがあるのなら推測できないこともないはず。著書とか伝記とか書簡とか肉声とか映像とかそれらを網羅したうえで、はりきってなりきって考えれば、近くを当てられるかもしれない、と思う。もし自分に自由な時間と資金と頭の賢さがあれば、昔の人が世の中をどういう風に見て、どう思ってどう考えていたか知るための活動に没頭してみたかった。あわよくば自分自身に落とし込んで、何かしらの実績にしたいという下心も込みで。なんておこがましい妄想。

話は変わって、先日初めてAmong Usというゲームを友人たちとやった。右も左も覚束なかった頃は、殺されたことに動揺し、ゲームにならないと笑われたが、最後の一戦では上手に殺し上手に騙せるようになった。(喜んでいいのか、いや、喜んでいいわけがなくむしろ危機感を持つべきだとわかっていても、またやりたい、もっと上手になりたいと思っていることに戦慄した)
とは言えゲーム下手に変わりない私は何度か死んだ。死んでしまって、幽霊となって壁をすり抜けタスクをこなしていくのは、とても気楽でいい。自分を殺した相手はもちろん知っているけれど、それを会議の場で言うのはタブーだから、黙ってみんなが疑いあうのをニヤニヤしながら聞いている、というのもとても気楽でいい。何もしなくていいから。私は、できることならずっと幽霊になっていたい。ゲームの中だけでなく、現実の世界でも。実際、そのような精神で生活しているも同然だ。

ここでふと、生身の体をなくし記録だけが残る過去の偉人と、体はあるけれど中身が幽霊のようになった生きる人間、どうにかして融合できないだろうか?と閃いたが、それこそおこがましい妄想だ。
自分は自分で生きなきゃならないって、どうやったらこの頭は覚えるんだろう。