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2024.6.24〜30

6/27 thu


写真て、何。と問いかけるような出来事があった。
私はずっと写真を撮っていて、それに救われたこともあるから、半ば畳み掛けるような圧力に、必死に(でも言葉はやわらかく自分の言葉で)抵抗した。正直言うと猫にネズミがくらいつくような感じなんだと思う。圧力は圧力なだけあって、知識量は半端ない。たかだかイチ地方のイチ写真好きに、写真や芸術に関する膨大な知識はない。
でも抵抗くらいしたっていいじゃないか。
これだけ芸術という枠組みの輪郭が膨張している時代に、写真とは〜とか芸術とは〜とか考えることが私に必要か?と問いかけても、それを考える時間を写真を撮ることに費やしたいと思った。でも、もちろん様々な勉強は必要だし、それと自分の思いを結びつけるような姿勢も身につける必要がある。
勉強にもなった。
又聞きなので、間に入った人が相手にそれを伝えたとは考えられないし、抵抗したとてその圧力にはかすり傷も与えられなかったんだけど、私は初めて自分の言葉で、反論ができたのだということと、自分なりの写真に対する向き合い方も少しずつ言語化できるようになってきたことに、成長したなと思った。


6/30 sun


個人で南城市の歴史を研究している人達に混ぜてもらい、遺跡を一緒に散策させてもらった。昨晩お風呂に入りながら考えていた(よくお風呂に入りながら降りてくることがある)ことを踏まえながら自己紹介したら完全にスベッた。笑。まぁ、知っている人達ばかりだったし練習させてもらった気持ちでいよう。
名前では知っている場所を実際に訪れる、それもみんなで。普段はひとりで巡っていることが多いから気持ちが新鮮である。それでいて地元のことだからみんな博識だし、色々なことを教えてくれる。看板やネットだけでは得られないことを知ることができる。
炎天下の数時間だったけど、熱中症にもならなかったし、とても楽しい時間だった。帰宅して復習なんぞして、知見に厚みを加える。
今日、参加しながら思ったのは作品としたときに、記録に留めたくないということ。ここからもう少し写真的に深みを持たせていくために、生活を織り交ぜる必要があること。今回、展覧会をすることはそれの序章であったこと(自ずと)。そうしたときに、こうやって自分の街の歴史を深掘りしていきたいという人達がいるということを記録しておかねばならない。
まだまだ道のりは長いし、人間関係怖いけど、やれることはやってみようと思う。

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