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愛してる以外なにもない。

久しぶり。

肩を叩くと、ああ、と素っ気ない返事をされた。いつもそうだ。会えたって、ちっとも嬉しそうな顔をしない。
靴を揃えて家に上がるところもいつも通りだ。


元気?煙草吸ってるの?本数は?

私の矢継ぎ早の質問に心底鬱陶しいとでも言いたそうに曖昧な返事を繰り返す。
また少し痩せたんだろうか。180もある長身に見合わない痩躯で、ニコリともしないで、いただきますと料理に箸をつけ始める。

少し痩せた?とまた質問すれば、そっちこそ、と返された。

「あんただって痩せたよ」
「でも足とかは細くならないんだよね」
「普通の範囲じゃん?」

近所の人に貰った筍は昨日のうちに茹でて炊き込みご飯にしておいた。
お麩と三葉のお吸い物も、きんぴらごぼうも、ほうれん草の胡麻和えも全部好物だったはず。

美味し?と尋ねると、声も出さずに頷いた。きちんとお茶碗を持つ左手の薬指にはまだ新しい指輪が光っている。

「上手くいってる?」
余計なことを聞いたかと一瞬思ったけど、大して気にしていないみたいで、頷いた。
「あんたほど料理は上手くないけどね。さすがに言えないでしょ」

そりゃね、と思う。

「俺はあんたのメシ食って育ったから」
「すくすく大きくなりすぎたね」

もうすぐ29歳になるんだもんね。
私も歳とるよね。

父親が酔って暴れ始めると、私はこの子の手を引いてベッドに寝かせた。
良いから寝なさい。寝ちゃいなさい。そうしたら全部終わってるから、大丈夫だから。
大丈夫なはずがないことなんか誰よりも解ってる子に、それでも大丈夫だと嘘をついて聞かせた。

不安だっただろうな。
今ならもう少し上手に言葉を掛けられたと思うけれど、あの時はそれが精一杯だった。

眠れるはずがないのに一生懸命目を瞑るこの子を部屋に残して、私は廊下に出る。それが役目だと本気で思ってた。守ってるつもりだったし、守れてると思ってた。

怖かったと思う。怒鳴り声も、何かがぶつかる音も、何かが壊れる音も。
私も今でも怖い。

暗い部屋で、じっと息を潜めて、私の言いつけを守って、偉かったよね。本当。
いてくれて良かったって1万回は思った。あの家で、それでも笑っていられたのは、この子がいたからだと思う。

「自慢の弟だよ、本当に」

私が臆面もなく言うのを嫌がるけど、だって自慢だもの。可愛くて仕方ないもの。
私は自慢のお姉ちゃんにはなれなかったけれど、出来ることは全部したって自負はあるよ。

18で家を出て、まだランドセルを背負ったこの子をそのままアパートに呼んだ。
六畳一間の狭い部屋で、けれど本当に、なんにも怖くない夜を迎えられて、やっと助けられたって思えて嬉しかった。
寂しい思いはいっぱいさせたと思う。
当時ポケモンが流行ってゲームボーイを皆が持ってたのに、この子は1度も欲しいって言わなかった。
俺、別にポケモン興味無いしって強がった背中が愛しかった。

一昨年、結婚をするこの子とそのお嫁さんと会って、私が泣くより先にこの子が泣くから可笑しかったな。

少ないけど、と包んだ10万はそっくり返された。

あんたからはもう要らない。

そっか。そうか。もう私は手を放して大丈夫なんだと寂しいのと嬉しいのと、やっぱり寂しいのが少し勝って私も涙腺が崩壊した。

時々で良いから顔見せて。ご飯でも食べに来なよ、と言った約束を律儀に守るこの子が好きだ。
私の子供たちにこっそりお金を渡して、ママに言ったらダメだよって教えてるの知ってる。
必ず夫にお線香を上げて丁寧に手を合わせるところも。

「メシ美味かった。今度は2人で来るよ」
「3人になってても良いよ」
「それは天命を待て、だね」
「じゃあ、人事を尽くさなきゃね」

揃った靴を履く背中を見るのは未だに少し寂しいな。

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