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明日に継ぐ物語

昨日は広島原爆記念日だった。この日は、わたしの幼い頃は登校日だった。学校で原爆の話しを聞かされた。夏休みなのに早朝から学校に行き、しかも戦争の怖くて悲しい話を聞くのが嫌だった。

占いの方位学では、良くない方角に行くとその悪影響は未来永劫に続くが、良い方角に行っても最長で8年しかその効果は保たない、という基本理念がある。

そのことを初めて専門家から聞いたとき、なんという不条理だ、と気が重くなった。けれどよくよく考えてみたら、それは人生そのものだ、と思い至った。

人は、悪いことをすると、それが後味の悪いものを食べた時のようにずっと記憶のどこかに残る。罪悪感や、自信喪失や、劣等感など、さまざまな形になって残る。普段は意識していなくても、ふとしたことでその後味がムクムクと頭をもたげる。そして、誰かに愛を告白しようとしても、自分みたいな人間があんなに素敵な人に気持ちを伝える資格さえない、と思ってしまったり、何か新しいことに挑戦しようとしても一歩が踏み出せなかったりする。

それでいて、人は自分の悪行や罪を覚えておきたくはない。だから、記憶はないかのように振る舞う。ネットフリックス、SNS、セックス、恋愛、誰かの陰口や噂、お酒、仕事などに逃げ込む。人を騙したり痛めつけたり、悪行を重ねて悪を正当化するような人もいる。

けれど残念ながら、わたしたちは忘れることができない生きものだ。

そこはかとない後味として残るだけでなく、罪の記憶は、お化けになって先回りをし「ばぁ~!」と言いながら、正面から向かってくる。だから、方位学で言う『良い方角に』向かって、悪しき記憶を背に負い歩くしかない。そうするうちに、新たな、より色彩豊かな景色がまた見えてくる。

わたしたちはみな、大なり小なり罪を犯している。時には取り返しのつかないような罪を犯すこともある。もしもあなたが「わたしは罪なんて犯さない」と言うのなら、あなたは大嘘つきか、何が罪かを知らない愚か者だろう。

蝉時雨せみしぐれの降りしきる登校日の早朝に、人類最大の罪の一つである原爆の記憶を何度も何度も繰り返し聞いたのは、良い方角への行脚であり、神聖で厳かな儀式だったのだ。

そしてその罪の記憶は、どこかの大陸の長老たちが何万年も語り継いできた物語のように、今を生きる人類の幸福のため、未来のために、語り継いでゆかなくてはならない大切な物語なのだ。




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