赤チャリは哲学である-7

赤チャリウーバーにこだわる理由
ウーバーに限らず本気でデリバリーなどのソーシャルワークで生活しようとするなら、それに使用するツール(この場合バイク)は、自前で所有すると言うのが従来の経済活動の常識だろう。当然だ。
コスパの面からも一目瞭然。
ただ。一歩、視点を変えてみたらどうだろう。
所有=不自由と考えられないだろうか?

ウーバーで言うならば、戻る場所が固定される。
つまりは自宅。
それを束縛と捉えるか否かはそれぞれの考えで良いと思う。
(何言ってやがる、所詮テメェも自宅に帰るんだろう?)
その通り。
私も最後は自宅に帰る。
だがそれは生活基盤のツールを戻すためではない。
戻るという作業を開始している前に、すべての束縛から自由になって戻るのだ。
この違いは・・
多分分からない人には分からない。
効率追求と聞こえは良いが、つまりは多少の経済的利益の為に、既存の体制の底辺に組み込まれてしまっているのでは。。そう思うのは私だけだろうか?

私はギグワークの本質は、あらゆる束縛からの解放。つまり不所有こそが本質と思っている。
所有は精神を束縛する。堕落させてしまう。
本当の自由とは何か?
ここで究極を論じるつもりはないが、
改めて言う。所有は堕落だ。
人は経済効率のみに生きる生き物ではない。
精神的自由こそ求められるものなのだ。
これが私の持論。

だから私は赤チャリにこだわる。

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