生きていることの奇跡。必然の死
病棟の色と匂いは、独特である。灰色がかった白。誰かが横切ったときにふわりと漂う消毒の匂い。学校と同じくらいの大きな病棟。廊下以外は人で溢れかえっている。いまはもうない市場の隣にそびえ立つ、巨大な病院。国立がんセンターに僕はいた。
2階の患者待合室は、呼吸器内外科、乳腺腫瘍外科、整形外科の診察室に囲まれて、番号で管理された患者たちが100名近くいる。こじんまりとした椅子に僕は座り身体の中心からくるとめどない恐怖に震えながら、診察を待つ。50代、60代、70代の人が8割を占める中、化学療法をうけてなくなった頭髪を隠すようにニットの帽子をかぶり、真っ白な顔をして点滴を片手に歩く女性の患者。いままでドラマでしか見なかった本当の現実がここにある。誰もががんに侵されて、ここにいる。2階のエスカレータの前にある血液検査の受付の上に表示された受付中の番号が700を超えている。今日一日で、700人を超える人が、ここで血液検査を行っているのだ。
左鎖骨下にある僕の腫瘍、良性なのか悪性なのか。希少ガンにカテゴライズされるこの腫瘍は、悪性だったら5年生きられるチャンスは50%。ただそれは四肢にできていた場合で、僕の場合は体幹深部にあるため、おそらく1年は持たないだろう。
3月に受けた健康診断で見つかった2センチ大の半円の腫瘍。
この一ヶ月、ありとあらゆる文献をネットで読んだ。英語の医療文献にまで目を通した。僕の体内にある腫瘍は神経原性腫瘍であり、9割は良性だ。でも1割は悪性である。確率はただの確率でしかなく、良性である確率は、実際は5割。
41歳を目前に控えていた。いままで僕が生きてきた人生は幸運に満ちていた。大きな事故も病気もなく、子どもにも友人にも恵まれた。仕事も順調だった。4人の子どもはそれぞれ立派に育ってくれたし、僕の会社も実績を積み上げることができている。
あと数ヶ月で死ぬということ、を本気で考えた。
思考のてっぺんには「死んで後悔することは、あんまりないよな。幸せだったし」がある。だが
1年後、中目黒の桜まつりはもう見ることができない。元気なつるっぱげ店長がやってるからあげは、もう食べれない
長女の大学・長男の高校受験の結果を知ることができない
次男・三男がいい男に成長できるか知ることができない
大河ドラマ、明智光秀だったよな
新しいお札、僕が手にすることはないだろう
行ってみたかった海外の国々にいけなくなる
ウォーキング・デッドはまだおわらないだろうな
会社がどういう成長を遂げていくかを見届けられない
僕が少しずつ弱くなる姿を、親や家族、子ども、大切な人に見せなくてはならない
抗がん剤で体力を奪われ、ベッドから身動きが取れなくなる
肺に転移したがんが、僕の呼吸を止めていく
死んだあとはどうなるのだ。無なのか。輪廻転生はあるのか。天国はあるのか。暗いのか、さむいのか
僕が死んでも、それほど時を待たずに親がやってきてくれる。時のながれは早い。それほど長い時間に感じずに、もう一度子どもたちにも会えるかもしれない
親として、ろくでもない親としてでも、子どもともっと理解し合いたかった
自分はひとりで死んでいくのか
人生という時間を奪われ、残された時間を、恐怖の中すごさねばならぬのか
怖い。怖い。奥歯がガチガチするほどの恐怖
1ヶ月間そんなことを考え続けた。
そして、自分の病状を検索し、本当に悪性なんだろうかと自問する。
痛みは特に大きなものはない、多少の違和感はある。でも生活に支障のあるような痛みはない
鎖骨の下のようにたくさんの重要な血管や神経がある中で、悪性だったらもっと痛みやらしびれが出てるだろう
文献を読みすすめていくうちに、この腫瘍が悪性である可能性はほとんどないということを理解して、数日は楽観的になった。でもすぐに「what if」がやってきて、楽観を黒色に塗りつぶされた。また負の思考の連鎖だ。
ただ不思議なことに、落ちているゴミを拾ったり、車の進行を譲ったり、対外に対してはできる限りネガティブな感情をすてるようになった。これは自分の行動を善に転向することで、神様に救ってもらおうという下心をベースにした、コミュニケーションの改善だろう。
残された時間が短かったとして、僕がやらなくちゃいけないことの一番の課題は会社の運営だった。いまいるメンバーはとても頼りがいがある。でも「僕は死ぬから、あとは任せた」と無責任にはできない。きちんと仕組み化をしておくべきだったし、残された短い時間でそれができるのかがとても不安だった。会社が小さすぎて選択肢が少ないのだ。あれこれ考えたが、会社のことを考えたくても、意識が集中できない。
これらのことが有象無象に、ばらばらと意識に舞い込んでくる。
ポケットにある、伊勢神宮でもらったお守りをギュッと握り、3866番というアナウンスをまった。
1時半に病院につき、診察は5時を過ぎた。
いよいよのとき。
震える声でこんにちは、といい、今日で3度目となる恰幅のいい経験豊かな呼吸器外科の担当医師の横に座る。
「この前の針生検の結果なんですが」
「神経鞘腫で間違いないですね。良性です」
「とりあえず、経過観察でいいかな」
あああああという声がもれる。涙が出てきそうになる。身体中から力が抜けて、ありがとうありがとうと、誰に対してでもなく感謝の気持ちがでてくる。
半年後のCTスキャンを予約し、病院をあとにする。
数千人のがん患者はそれぞれ同じ苦しみを持っているはずだ。それを思うと、複雑な気持ちになる。僕はたまたま、いまは螺旋から外れることができた。
与えられた新しい人生が、これから始まる。
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