想定外の状態を楽しむ
昔、学生のころに友人に言われたことを思い出しました。
なんでも先回りして考える
自分は考えるのが好きなので、とにかく何でも考えちゃいます。考えるよりも先に手を動かすとか、そういう感じの「考えるよりも先に〜〜」みたいなのがあると思いますが、「考えるよりも先に考える」ぐらいのノリで生きてきました。
友人とその時何の話をしてたのか忘れちゃいましたが、自分の考えを語っていました。様々な可能性を考慮してあれやこれやと考えた話だったかも知れません。とにかく、想定どおりにことを進めたいということもあるので、先回りして考えるということはあったと思います。
とにかく、自分は計算通りことを進めたい。だから、いろいろ確認して見極めて行動にうつしたいと言ってた気がします。石橋を叩くというよりは、答を早く知るために本質をつくみたいなやり方かも知れません。とにかく、そんなことを話したら、言われたんです。
「なんでも想定通りに進んだら面白くないんじゃないか?」
え!?
それは考えたことがなかったです。考えるのが好きな自分としては、考えて予想して仮説を立てて、それを検証して、みたいなそういうプロセスしかしりません。予想をしないで突っ込むとか、ちょっと意味がわからない。
経験が重要なモノについて
昔、弓道やってました。こういう経験を経て学ぶタイプのことは書物を読んで事前に学習するのは、違うなって思ってます。例えるならば、映画の予告編を見ちゃってから映画みると楽しめないのと同じで、本とかで弓道から得られることを先に読んでしまってから体験すると、「やっぱり本で読んだ通りだ」となぞる作業になっちゃう。きっと本を読まずに経験すると、本とは違う学びを得たかも知れないけど、先回りしてることでそこに道が限定されちゃうみたいなことが発生する可能性があるなーと思うわけです。
だから、経験がものをいうことについては、なんでも想定通りにならないほうがいいとは思っています。
でも、考える。自分は考える。
あー、でも自分の知識で考えるのは、別にだめじゃないはず。
なんかわかってきた
何でも先回りして考えることと、本とか人の経験を聞いて先回りするのとでは結構意味が違うかも知れない。自分が経験前のことを予想して考えて仮説を立ててる場合は経験を得た時に、「やっぱ違った」とかそういう上書きが簡単にできそうだけど、うっかり尊敬する人から聞いた経験談とかあると、「そうに違いない」と思い込んで経験することになってしまうので、上書きしにくいかも知れない。
ていうか眠い
最近note書いてなかった!と思って書いてみてるわけですが、やっぱり今週は疲れてて無理だと思ったので、中途半端ですが書くのをやめます!
想定外の終わり方ですが。