向こう側に届かない
やや悲観的に聞こえるかもしれないが、たまたま感じたことを言葉にしておこうと思って書いてみる。
ネガティブとポジティブ
自分はポジティブでいたいので、SNSとかでネガティブな発信を見ると残念な気持ちになる。だがネガティブ発信というのは怒りなどの感情を纏ったりして、なんだか強いインパクトがあり、反発する人や賛同する人同士もぶつかり合い、大きなうねりとなってネットを駆け巡ったりする。
我々ポジティブ派の人はというと、そのようなうねりに乗ることはないが、かと言って止めることはできない。ネガティブ発言を否定するのはネガティブだったりもするので、それはできない。なので、懸命にポジティブな話をしたり、素敵なプロジェクトを立ち上げて没頭するしかない。
ポジティブなうねりというのはなかなか難易度が高い。ポジティブの連鎖というのはなかなかに難しい。とはいえ、諦めるわけにも行かないので、ポジティブでいつづけられるように頑張るわけだ。
自分を伸ばすために努力するかどうか
努力という言葉は嫌いだが、万人に通ずる言葉として使うと、努力は大事だ。何かのスキルを身につけてさらにそれがプロの中でも目立つくらいにするには、かなりの修行が必要だ。だが、実際そのステージに立ってる人たちは、努力だとは思ってなくて、楽しくてやってたりする。楽しいからのめり込んでて、だからすごいレベルに達してる。
全員がそのように楽しんでできるかというと、多分無理なんだけど、自分のスキルを高めるという観点で全ての行動をすると些細なことも全て学びで、それはなかなかの効果を発揮すると思う。が、頑張ることが嫌いで、仕事が楽しいなんてありえないと思ってる人は、なかなかそこから飛び出せないのだろうと思う。
(今までの人の観察から)
大きな組織のやり方と小さな組織のやり方
大きな組織になると、社会的なルールは重要になり、さまざまな縛りが出てくる。そして、縦の構造が強い場合も多く、プロジェクトは上司の合意が基本となる。
小さな組織の場合も、縦の構造はあるのだろうが、裁量の幅が広かったりすることが多い。いや、組織のサイズではないかもしれない。文化の違いかもしれない。
とにかく、誰のために作ってるのかという時に、エンドユーザーのためであるべきだが、そのプロセスとして誰かの考えを尊重しないといけないことがある。シンプルな事実として、作業を担当してる人がどのような状態で仕事してるのがベストかというと、自分のいいと思うものを自由に模索する時だと思う。作業してる人がプロジェクト全体の意思を理解してれば、自分のことのように感覚をチューニングできるかもしれない。だが、プロジェクトに関わる大半が納得してないのに、トップの意思だけで違う方向に向いた時に、質が著しく低下するということはよくある気がする。
わかってる人とわかってない人
わかってる人にはわかる話というのがあって、わからない人に同じ話をしてもわからないままだったりする。
例えば弓道教本というのは、すごく圧縮された短い言葉で書いてあるのだが、ある日気がついた自分の発見が、よく読むと書いてあったりする。つまり、気がつく前から読んでいたのに気がつけないのだ。わかるようになるとわかるので、わかった時には「やはりそうか」と確信を持てることがある。
つまり、わかる人にはわかる話というのは、わかる人同士の共感の話であり、より強固な理解のために存在価値がある。ただ、わからない人にはわからない。
人間の「わかる」とはなんなのか
お笑いだとあるあるネタ的なジャンルがあるが、デザインとかアートとか多くのことでもこれはさまざまな粒度でやってる気がする。
「この感覚、わかりますか?」ということだ思う。
自分だけが感じてたことかと思ってましたが、作品を見て、おそらく作家も同じことを感じてそれを表現したんだと思いました。感動しました。
的なことがあるわけだ。これは、なかなか伝わらないしわからない感覚をわかる形にして表現できると、そこに価値があったりする。それは文章でもアートでもデザインでもなんでも。ただ、わかる人とわからない人がいて、わかる人が多いと大衆向けになり、少ないとマニア向けになる。
まとめ
落ちはありません。なんか思ったことを書いただけでした。