宇宙よりも遠い場所 アニメと聖地の関係性に対する私論

 先日NHKのEテレで「宇宙よりも遠い場所」の再放送があったとXのタイムラインに流れてきてた。
 この作品については、残念ながら放映時に知ることがなかった。
 
 知ったのは仕事で下車した東武伊勢崎線の館林駅でのこと。
 2階のコンコースにアニメキャラの描かれた幟が飾ってあったのを見て「場所に合わないなぁ」と思ったものの、待ち合わせ時間に迫ってたいた事もあってその場は素通り。
 どっちかと言えば駅前のロータリーに有る気温表示板とたぬきの置物のイメージが強かったので、その時は何かのイベント絡みからなとしか思ってなかった。

 要件を済ませて再び館林駅に戻ってきた時に幟に書かれていた「宇宙よりも遠い場所」の文字に興味を惹かれたので、帰宅後にチェックしてみたら放映はとっくに終わっているけれど、アマプラで配信されていることを知って、ちょっとづつ鑑賞。
 観てやっと館林が舞台の作品だったのだと納得。
 
 ストーリーは正直に行って地味。
 ごくごく普通の女子高生が南極で遭難した母親を追って南極を目指す同級生と出会って共に南極へ行く事を目指し、途中仲間を増やしながら目的を叶えて南極行きを達成する。
 南極行までのストーリーは淡々として盛り上がるところが少なく、1クールに収めるならもっと南極での生活を膨らませたほうが話しは作りやすかったんじゃないか?とも思うが、主人公を始めとする登場人物が皆地味めで、女子高生が南極に行くって非日常を描くのに対比になる日本での普通の生活を描かなきゃ駄目なんだと言うことなのだろうと思った。

 その主人公たちが居住し活動している舞台が館林市。
 館林に行ったことがあるが、駅からタクシーに乗ってかなり離れたところまで行く以外には接点がない街なので、こういうところがあったのかと土地の紹介みたいな部分も含まれている。
 こういったところから「聖地」と呼ばれる場所ができるのだろう。
 有名なところだと「らき☆すた」の鷲宮(同じ東武線だわ)とか「ガルパン」の大洗とかがある。
 これらは成功事例になるけれど、失敗した例も有るってことだろう。
 なぜ失敗するかを考えると、地域の「あざとさ」とか「下心が透けて見える」ったのが視聴者に解ってしまうんだろうなと。
 自分たちの見つけたネタで踊りたいってのがファンの心理であって、舞台を用意しましたから踊って下さいと言われてハイそうですかと踊れるもんでもない。
 この辺のさじ加減の微妙さが舞台になる地域に求められるのだろう。
 「宇宙よりも遠い場所」の場合、館林駅周辺ではそんな妙な熱も感じることは無く淡々とした感じであった。
 放映終了からかなり経ってしまっているというのも有るだろうけど、舞台と物語が無理なく寄り添っている、そんなこんな穏やかな作品も良いものだなって後味の良さを配信を観て感じた。
 この先はお礼です。
 
 

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