オリジナル作品 尺に話が食われる事に対する私論
C1内回りで霞のトンネルを抜けて谷町ジャンクションの左コーナーまでの赤坂ストレート。
湾岸MIDNIGHTで「距離に速度が食われる」と言わしめた短いストレートだが、短い距離にあれこれ詰め込もうとすると、結局尺が足りなくなるってオリジナル作品あるあるだなと思ったりする。
最近の作品だと「ガールズバンドクライ」や「水性の魔女」がオリジナル作品の範疇に入る。
それに対するのが原作のアニメ化作品。
近年では「鬼滅の刃」や「葬送のフリーレン」がそれに当たる。
原作があると縛りが生じると言われるし、下手なことすれば原作改変だとか原作を殺したとか散々な叩かれ方をする。
アニメではないがドラマで好き勝手やった結果の騒動で原作者が不慮の死を遂げたなんてひどい話もあるくらいだし。
ただ、原作をリスペクトしてアニオリを適度に入れていくと作品世界に深みが出るのも事実。
原作と時系列とちょっと変えたりシーンの時間を伸ばしたりと言ったところから、アニメらしい映像化が加わる事でより迫力が出たりする。
鬼滅もフリーレンも原作の戦闘シーンは割とあっさりめだから、ここが変わるとスケールが大きく見える。
対してオリジナル。
制作側は脚本的にきちんとバランスを取ってシリーズを構成してるのだろうというのは判る。
判るのだが、1クールとか2クールって決まった尺の中で結果として後半は詰め込み過ぎではとか、ここはもう少し掘り下げたほうが良かったのでは?とか序盤の余裕感がなくなっていくとかって印象を受けてしまうことが多い。
まさに「尺に話しが食われる」だ。
水性の魔女なら1クールの学園生活をもう少し詰めて2クール目に回せてれば入れられたエピソードで深みがましたのでは?とか、説明不足感が減るだろうって感想が出るし、ガールズバンドクライだと第2シリーズが無かったら伏線回収できないんじゃないの?って感じが出てしまう。
どちらもよく見直すと序盤の話の展開があるから終盤の話しに繋がっていくのが判るのだが、せめてもう1~2話分あれば感は残る。
このあたりのさじ加減、制作者にとっても悩ましい問題なのだろうと思うのだけど果たして?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?