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「市民運動」の欄がない自然保護年表を作って思うこと
はーいみんな、GFBさんだよ。
大好評のGFB式自然保護年表のVer.2を作ったよ。
Ver.1は団体の勉強用に使わせてほしい等々、問い合わせがけっこうあったりでありがたいかぎりです。
黙って使ってもらっていいですし、必要に応じて改変してくれても大丈夫ですよ。
内容はご自身で確認の上で願いしますね。「ここおかしくない?」等の指摘も大歓迎です。
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今回シェアするVer.2はもともと作っていた形式で、入れられるものはだいたい全部入れています。
平均12ptの文字サイズでA0いっぱいくらいの大きさです。A4で印刷すると文字はまず読めないです。その点ではVer.1の方が扱いやすいです。
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私自身の理解の助けのためのもので、人に見てもらうことはあまり意識していません。隠しておいてもしょうがないし、人の役に立つことがあるなら置いておこう、くらいのものです。
環境省の生物多様性保全政策が中心なので、気候変動や農業(農林水産省)、都市計画(国土交通省)の方に関心がある人には物足りないかもしれません。
とはいえ、けっこう良くできていると自負しています。
こういうのが欲しいんだけどなー、と思っていたもの自分で形にしました。
たとえば、1972年や1992年が国際的にも国内的にもひとつの画期になっている点がひと目で(っていうにはデカすぎますが)わかると思います。
法律や関連政策の所管省庁もおおむねいい具合に図示できていると思います。
条約や締約国会議の内容と、それらに対する国内法での対応なんかも。
ですが、残念ながら落とし込めていないものもあります。
タイトルにある「市民運動」です。
「世相」の欄をつくってそれらしくすることはできなくはないものの、やってみるとこれが難しい。
例えば古都保存法(1965年成立、1966年公布、成立年と公布年が違うものも扱いが面倒。基本的には成立年を採用しています)です。
この法律ができたきっかけは、当時京都や奈良、鎌倉などで起きていた開発問題です。
鎌倉では鶴岡八幡宮の裏山「御谷(おやつ)」が宅地開発のために破壊されようとしており、これに対抗するため、鎌倉の自然を愛する会や鎌倉風致保存会などが立ち上がり、寄付金を集めて用地を買収します(御谷騒動)。作家の大佛次郎が関わったことでも知られており、大佛が朝日新聞に寄せたエッセイ「破壊される自然」も有名です。大佛はエッセイの中でイギリスのナショナル・トラスト運動を紹介しており、その手法が活用された御谷の事例は日本で最初ナショナル・トラストとされています。
この流れを説明するために、「世相」欄の1960年代の真ん中あたりに「鶴岡八幡宮裏山開発問題」を置き、矢印を「古都保存法」につなげる、ということはひとまずは可能です。ですが、当時問題になった開発は京都や奈良でもあったわけで、特定の事案だけを取り上げるとそれ以外のものが埋没してしまいます。もっと言えば、開発があったから法制度ができたわけではなく、開発に対する反対運動がありそれが支持を集めたからこその法制化です。運動まできちんと図示しようとするとかなり込み入ったかたちになってしまいます。この開発の背景には高度経済成長期の好景気、この時期ならいわゆるオリンピック景気による開発熱があるわけですが、そこまで示そうとするとかなり煩雑になってしまいます。
1973年の改正森林法による林地開発許可制度も、列島改造ブームの中で生じた宅地や工場、ゴルフ場などの開発が背景にあります。1987年の総合保養地域整備法(リゾート法)は、バブル期の金あまり、貿易の不均衡からの内需拡大の要請に応えるかたちでつくられたもので、その結果、リゾート施設やゴルフ場の乱開発が生じます。こんにちの生態学的里山論はこうした情勢の中から生じました。
可能ならすべて書きたい。が、どこまでできるか。
これは今こそしっかりと示すべき事象だと感じています。それはなぜか。
身近な自然に対する保護運動で目立ったものは存在しなかったと言ってよいだろう*1
里山林のことは二次林とよばれて価値の低い自然のように考えられ、長い間生物学の研究対象にはならなかった
里山のアカマツ林やコナラ林が保護区として指定されるようなことは聞かない*2
このような開発に対して里山を守ろうとする自然保護運動を通じて、20世紀も押し詰まってから、ようやく身近な自然としての里山が見直されるようになった*3
こうした言説が以前からまかり通っており、2024年現在でもたびたび見られるからです。昨今の身近な緑のあり方に関する論考のなかにもこれに類するものがあります。そこでは、1980年代以前とそれ以後の自然保護を分け、以前のスキームを人と自然の相互関係が問われる現代では通用しないものとされています(あえてここで書名は挙げません)。それは本当なのでしょうか。もしそうなら、なぜ人々は鶴岡八幡宮の裏山を守ろうとしたのでしょうか。御谷騒動からは学ぶべきものがないのでしょうか。
もう少し事例を取り上げてみましょう。
ナショナル・トラストでいえば、有名な天神崎の事例はどうでしょう。田辺市の海岸を守る運動は身近な自然に対する保護運動ではないのでしょうか。「天神崎の自然を大切にする会」の設立は1974年です。海の自然保護でいえば、「新浜を守る会」の設立は1967年、「千葉の干潟を守る会」の設立は1971年です。これらの運動では身近な自然と人間の相互作用は問われなかったのでしょうか。
1968年に埼玉県新座市の平林寺が天然記念物指定される際の「指定時の説明」は次のような内容です。
平林寺は、野火止用水沿いの一角にある禅寺として有名であるが、東京近郊の緑地が急激に失われてゆく最近では、数少ない武蔵野の雑木林として着目されてきた。この境内(約40ヘクタール)には、クリ・コナラ・クヌギ・アカマツなどから成る樹林が残存し、林床はクマザサにおおわれている。アカハラ・ルリビタキ・アオゲラ・カケスなど、鳥類約60種が越冬・繁殖・渡りの中継地等としてここに生息しているし、オオムラサキのような貴重な蝶もここに生息する。
新座市・宗教法人平林寺『国指定天然記念物平林寺境内林保存管理計画』2016年
天然記念物指定の際の要件として雑木林が挙げられているものはたしかに限られはいますが、存在しないわけではありません。もちろんこれは性質上保護区とみなしうるものです。
一般につかわれている自然という言葉には二つの意味があると思います。一つは、まったく人為の加えられていないもの、たとえば野草、野生動物、原生林、大海などをさしますが、もう一つは、人間の意思や知恵を、自然の理法と調和させてつくり出したもの、たとえば田畑、寺社林、二次林の群落、道端の雑草などがそれです。私たちが、東京で問題にしているものはもちろん後者の自然のあり方です。
初出「国土と教育」第37号、1976年2月
横山理子『多摩川に生きる 横山理子著作集』のんぶる舎、1990年
と、「多摩川の自然を守る会」の横山理子は1976年に書いています。人為の加わった自然の価値について世に問うています。ここで挙げられている一連の景観は現在の広義の生態学的「里山」そのものです。
東京都では、遡って1970年に「自然環境をとり戻す都民集会」が行われ、1972年には 「東京における自然の保護と回復に関する条例」制定されます。当時の都知事美濃部亮吉はこの運動や条例の制定にかかわり、「私も武蔵野の自然保存のために努力をしているが、都民の強い支持が必要だ。是非この運動の輪を広げてほしい」と述べています。武蔵野の議論の余地なく身近な自然、現在でいう「里山」でしょう。
自然保護憲章制定のために設立された自然保護憲章制定促進委員会に、1972年までに参加した自然保護団体の数は141あり、団体名に入った地名からわかるものに限っても、相当程度が都市近郊の身近な自然を対象としています。
身近な自然に関心がなかったとするならば、樹木保存法(都市の美観風致を維持するための樹木の保存に関する法律、1962年)の対象となった保存樹や保存樹林、首都圏近郊緑地保全法(1966年)による保全区域、林地開発許可制度(改正森林法、1973年)はなぜ設けられたのでしょうか。以下の表は1972年の環境白書からのものです。ここに示された保全地域は身近な自然を守るための保護区とするのは誤りなのでしょうか。
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なぜこのような齟齬が生じるのでしょう。
最大の理由は、総合的な「自然保護の歴史」がいまだ存在しないことです。多くの場合参照されるのは、大手自然保護団体の活動史や、環境省の行政史です。そこから任意のものをピックアップして自説を組み立てるのが通例です。その場合、たいてい上記のような多くの市民運動や環境省以外の法政策が抜け落ちます。そもそも環境省かそれ以外かは関係なく、各省庁の施策に対する評価自体があまりなされておらず、時代が経過すると存在したことさえ忘れられてしまいます。参照されないから参照されない、という状況です。
「かつては原生の自然保護が中心だった」や「身近な自然の価値が認識されたのは最近である」といった言説を唱える論者は、里山論のインパクトに目がくらんで、相対的にそれ以前の自然保護はそうでなかったとが思い込んでいるふしがあります。里山に関する理論やデータ、保全手法の蓄積が十分ではなかったからといって、そうした環境に対する関心がなかったわけではありません。見る限り、そうした論者は自身で各省庁の政策や市民運動を整理することを怠っています。
保護区の管理が人為を排したものになりがちだった、というのは一面では正しいですが、開発の危機にある場所で最初に目指すことは、その土地を守ることであり、そうした傾向を帯びるのは必然です。そのような場所でも時間が経つとたいてい「どう管理するか」が問題になり、やがてなんらかの再生を目指すことになります。なので、この分野でしばしば見られる、P型(Preservation=保存、Protection=保護)、C型(Conservation=保全)、R型(Restoration=復元、Recovery=回復)という自然保護の分類は、時間経過による管理の方向性の変化を考慮していないという点で、あまり有用ではないと考えます。
逆にいえば、先に挙げた理論やデータ、手法の蓄積はこうした経過の中から生じたものです。里山論は、この難しい問題に取り組んだ人たちの労苦が肥やしとなって花開いたものなのですが、そのことは、花の部分だけを見ていてもわかりません。
学術的な関心が実際に原生の自然に集中する傾向があったことはある程度確かですが(例えば、日本学術会議(第44回)から政府への勧告「自然保護について」(1965))、だからといって市民もそうだったわけではありません。多摩ニュータウンの開発は当時でも自然破壊として捉えられていました(例えば朝日ジャーナル 1968年3月24日号、特集 死の行進としての自然破壊、写真)。井上靖の小説『欅の木』(日本経済新聞連載、1970年〜72年)の主人公はなぜ都内の欅を守ろうと奮闘したのでしょうか。もっと言えば、街路樹を三次的な自然として保全の対象とする考えは戦前にすでに見られます(織田一磨『武蔵野の記録 自然科学と芸術』洸林堂書房、1944年、復刻版武蔵野郷土史刊行会、1982年)。
1960年代後半以降の、公害問題等の社会運動と結びついた自然保護を、生態学的自然保護と切り離したがる人たちがいることも一因でしょう。
この点については別途論考を用意していますので、いずれ詳細に取り上げようと思います。
さて、ここでもう一度年表を見てみましょう。先に挙げた施策は、およそこのあたりに集中しています。
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これらはいずれもその当時の時勢を受けて作られた法制度です。集中の度合いからしてもひとつの画期と見てよいでしょう。しかし、法令名だけ見ても、その背景は見えてきません。私はこのあたりにも現在の里山論の萌芽があったと考えています。
年表はひとまずは公開としますが、先人たちによる数多の功績、運動や出版物等の文化史を年表に落とし込み可視化することは今後の課題です。
その点を踏まえて利用していただけたら幸いです。
これは、歴史学の分野ではすでに幾重もの議論を経てきたテーマだったりします。ここでは立ち入りませんが、好きな本の冒頭部分を引用して、この記事を閉じようと思います。
以前には、歴史家は「国王たちの事跡」しか知ろうとしないといって責められたものである。たしかに今日では、事態はそのようではない。歴史家たちは以前の歴史家であったら沈黙するか敬遠するか、あるいはたんに無視してすませていたようなことに、よりいっそう取り組んでいる。ブレヒトの「読書する労働者」はずっと以前にすでに、「ギリシャのあの七つの門をもつテーベの都市を建設したの誰か」と問うていた。歴史の資料はこれら名もない石工たちについてはなにも語っていない。けれども、この問いは依然としてその重さを保ちつづけている。
カルロ・ギンズブルグ『チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像』原著1976年、邦訳1995年、新版2012年、みすず書房
注
*1 杉山恵一『自然環境復元入門』信山社、1992年
*2 田端英雄編著『里山の自然』平凡社、1997年
*3 広木詔三編著『里山の生態学』名古屋大学出版会、2002年
参考文献
大佛次郎『随筆全集第二巻』朝日新聞社、1974年
日本自然保護協会『自然保護のあゆみ 尾瀬から天神崎まで 日本自然保護協会三十年史』、日本自然保護協会、1985年
日本自然保護協会『自然保護NGO半世紀のあゆみ 日本自然保護協会五〇年誌』平凡社、2002年
新座市・宗教法人平林寺『国指定天然記念物平林寺境内林保存管理計画』2016年
横山理子『多摩川に生きる 横山理子著作集』のんぶる舎、1990年
環境省『昭和47年 環境白書』1972年
吉田正人『自然保護 その生態学と社会学』地人書館、2007年
守山弘『自然を守るとはどういうことか』農山漁村文化協会、1988年
『朝日ジャーナルの時代 1959‐1992』朝日新聞出版社、1993年
井上靖『井上靖全集第二十巻』新潮社、1996年
織田一磨『武蔵野の記録 自然科学と芸術』洸林堂書房、1944年
カルロ・ギンズブルグ『チーズとうじ虫 16世紀の一粉挽屋の世界像』2012年、みすず書房