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Memory

ミュージカル『CATS』で一番有名なナンバーと言えばやはり『メモリー』だろう。歴代のグリザベラの、数々の『メモリー』を聞いて来たが、この間の映画のジェニファー・ハドソンさんの『メモリー』も非常に素晴らしかった。あの映画は、本来初演でグリザベラをやるはずだったジュディ・デンチがオールデュトロノミーで出ているのをはじめ、見どころも聞きどころもある良い映画だった、のだが……これ以上は語るまい。
その『メモリー』で私が最も心打たれる歌詞がある。
”Touch me. It's so easy to leave me.”
ここを耳にするたび、触れ合って来た猫たちの顔が過ぎる。とくに、おしし、という名前で呼んでいた野良猫の事は忘れ難い。

当時、赤貧洗うが如し、を地で行くような生活をしていた。米とキャベツとモヤシと鶏むね肉と豚コマ肉のローテーションで暮らす毎日だった。たまの贅沢兼ビタミン補給が、濃縮還元オレンジジュースだ。
おししはその頃住んでいたアパートの近所を縄張りにしていた猫だった。白の方が多いサバトラで、脇腹に『F』に見える模様があったので、敬愛する藤子・F・不二夫先生の作品に出て来るキャラクター『オシシ仮面』から名前をいただいた。酷く人懐こく、そしていつもお腹を空かせていた。ペット厳禁のアパートの住人故食事をさせる事もできなかったが、それでも何かしらのおこぼれと触れ合いを求めて、おししは度々姿を現した。かわいい声で鳴きながら脛に絡みつき食事を要求し、食事が出てこないと悟ると地面にごろりと寝転がって撫でろと言う。求めに応じて撫でながら、私の頭の中にはグリザベラの血を吐くような歌が響いた。
私に触れて。
私を置き去りにするのは簡単よ。
当時はTNRをしている人たちとも関りがなく、けれど己に金もなく、ただ外で撫でてやることしかできない無力を痛感していた。そんな私であっても、おししは顔を合わせるたびに擦り寄ってきてくれた。食事が出てこないことは既に分かっているはずなのに、それでも触れ合おうとしてくれるおししがいじらしくてたまらなかった。
そんな関係が1年ほど続いた後、急におししが姿を見せなくなった。心配しながらも、どこかの家の猫になっていてくれることを心から願った。
しかし次の夏、記憶よりも痩せた姿でおししは帰って来た。会わなかった間に病でも得て体力も気力もなくなってしまったのか、ただだらりと寝ていだけになった。ある日の朝、出勤しようと家を出ると、アパートの前の道路の真ん中に、車を恐れることも忘れてだらりと寝そべっているおししがいた。慌てて飛んで行って抱え上げ、道の反対側にある低い土手の上へ移動してやった。車にはねられたような跡はなくただ寝ていただけだったようだが、抱き上げた体は見た目以上にガリガリに痩せていて、藁でも抱いているのかと思うほど軽かった。病院に連れて行ってやれず、家へ上げてやることも出来ない己の不甲斐なさに泣きながら撫でてやると、おししは少し顔を上げて小さく鳴いた。
Touch me.
It's so easy to leave me.
ごめんねごめんねと繰り返しながら頭を撫でて、後ろ髪を引かれながら私は仕事に向かった。
それがおししを見た最後になった。

今うちにいる猫をどれだけ可愛がった所で、おししへの償いにはならない。だんごの柔らかな毛並みを撫でて得られるのは、私個人の心の慰めだけだ。それでも、だんごが助けを求めてマンションに迷い込んで来た時、迷わず家に上げる事にしたのは、おししの事があったからだと思う。だから今では、おししに向ける思いは、ごめんねごめんねと繰り返した後悔と懺悔だけではなくなった。
おしし、お前のおかげで、だんごは助かったよ。
だんごを助けてくれてありがとう。

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