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A cat may look at a king.

エリザベス女王のプラチナジュビリー記念と銘打った閲兵式を見ていた。英国王室のYou Tubeチャンネルでリアルタイム配信される物を見られるのだからありがたい時代になった物である。
途中、20時の少し前ほどになって、猫がソファーに乗ってきて、恒例の撫でろ構えのカツアゲを仕掛けてきた。ご要望通り、足の間に寝そべらせて撫で撫でしながら、もうすぐ女王陛下がバルコニーに出てくるなー、と思っているうちにふと、"A cat may look at a king."という英文を思い出した。
『猫だって王様を見られる』
つまり、どんな人にも相応の権利がある、ということわざのような使われ方もする、マザーグースの一節だ。実際に猫が王様、ではなく女王様を(直接ではなくとも)目にする瞬間にもうすぐ立ち会えるのかと思うと、なんとなく愉快な心持ちで猫を撫でた。

この"A cat may look at a king."に私が出会ったのは、マザーグースではなく、『扉をあけるメアリー・ポピンズ』を読んでいる時だった。メリー・ポピンズがナニーとして働くバンクス家に飾られている、勿忘草の模様が描かれた猫の置物にまつわる不思議な話だ。
昔、明るく愉快だった若い王様が、ひょんなことから仕事も遊びもお妃様もほったらかにして知識の追求に取り憑かれてしまう。だが、ある日現れた猫の目をじっと見つめる事で、王様は本当の自分を取り戻す。猫は王様を元に戻した褒美として勿忘草のアクセサリーと、お妃様のお休みの日にお目通りする権利をもらった。そして今も2週間に1度のお妃様のお休みには、するりと動き出してお妃様に会いに行くのである。
細部はよく覚えていないので間違っているかもしれないが、確かこんな話だったはずた。
バンクス家の子どもたちの前で、陶器で出来ているはずの猫がするりと動き出すシーンは、今でも思い出すだけでドキドキしてしまう。メリー・ポピンズの周りはいつでも日常と不思議がシームレスに存在していて、本当に楽しそうでたまらなく憧れたものだ。
同じくマザーグースの"Pussycat, pussycat"という、女王様の椅子の下のネズミを退治する子猫の詩も織り込んでいたような覚えもあるのだが、メインプロットに強く組み込まれていたのは王様を見る猫の方だった。

うちの猫だって女王様が(画面越しに)見られる。そんなのは当たり前の事のはずなのに、なんだかちょっと日常と不思議がつながったみたいな気がした。猫を撫でる私の愉快な心持ちの源は、そこにあった。
しかし。
猫は女王陛下のお出ましの直前に、お腹が空いたからとソファーを降りてフードの所へ行ってしまい、食べ終わった後はそのまま窓際の爪とぎサークルに収まった。
そして中継が終わるまで戻ってこなかった。
猫を介してつながるかと思われた日常と不思議は、猫の気まぐれによってあえなく御破算となった。残念だ。

猫の目に本当の自分が映るなら素敵だが、現実では背後のガラスに生活感が映り込む。

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