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ねこはいます

猫は授かり物だとか、猫は住む家や家族を自分で選ぶ、などと言う言葉を度々聞く。
うちの猫の場合、授かり物であることは間違いないが、猫が我が家を選んだかという部分には大いなる疑問がある。

2021年9月下旬。
ゴミを捨てに行ったにーさん(配偶者)が、家に戻って来るなり
「表で怪我した猫が鳴いてる」
と告げた。子細を尋ねると、階下の廊下で左側の腹に傷のある猫がにゃおーんにゃおーんと鳴き喚いており、猫好きの住人たちがその周囲でおろおろとしているのだと言う。斯く言う私も猫好きとしては人後に落ちぬ自覚があり、一も二もなく素足にスニーカーをつっかけると家を飛び出た。ドアを開けた瞬間から聞こえていた件の鳴き声は、非常事態を知らせるのには十分なけたたましさで、猫を脅かさぬよう足音を忍ばせながら階段を降りた。
そこにいたのがこの猫である。

全身一部の隙もないキジトラ柄の左脇腹に痛々しい傷を作った、やけに手足がちっさく尻尾がほぼないふかふかの猫が、様子を見ている住人たちの足に顔を擦り付けてはにゃーにゃと鳴いていた。
その中にTNRをしている人がいたので状況を尋ねてみると、これから馴染の病院に連れて行こうと思うのだが、既に午前の診療が終わってしまっているので、それまでの間どうやって確保しておこうかという算段中とのことだった。周囲を取り囲む住人は誰もが猫好きで鳴らした人々で、つまりは既に自宅に猫がおり、検査の済んでいない猫をほいほいと家に上げるわけにもいかないのだった。
なるほどなるほど、と思いつつ住人の輪に加わると、猫はすかさず私の足元にも寄って来て、脛に顔を擦り付けてから私を見上げて、なごーん、と鳴いた。これは人慣れしすぎている。迷い猫か、でなければ捨て猫なのではないか。悶々としつつも、病院までこのまま様子をみておく、というTNRさんにこの場を任せて自宅へと戻った。
だが、家に帰ったとて猫は怪我をして外にいる。ご飯は貰った、しかもぺろりと平らげたとの事だったが、それでもなお、なごーん、なごーん、と鳴いて、きっと誰彼構わず顔を擦り付けている。私と同じぐらい猫好きのにーさんも、心配そうに外の様子に聞き耳を立てていた。
血は止まっていたようだが、それでも大きな傷があるのだ。
あと数時間経たないと病院にも行けないのだ。
それまでの間、あの猫は廊下でなごーんなごーんと必死に鳴き続けるのだろうか。
皆あの猫の事を心配しているが、それでも先住さんの安全確保を優先せざるを得ないのは、飼い主としては当然の事だ。
……ということは、猫のいない我が家に招き入れるのは問題ないのでは?
「にーさん、うちであの猫預かるよ、いいね?」
ごく当然のように飛び出した台詞に、にーさんもすぐさま同意した。
「うちの子になるかもしれないけどいいね?」
「もちろん」
再び素足にスニーカーをつっかけて階段を降り、未だ鳴き喚く猫とそれを見守る住人たちに告げた。
「うちで良ければ、その猫預かります」

結果として、猫は我が家の家族となった。
無論、警察への連絡と保健所への問い合わせはしたが、元の飼い主からの捜索願いは出されないまま、あっと言う間に3ヶ月は過ぎ去った。
私の心境はと言えば、サビーニ族の娘を強奪するロムルスの気分である。
強奪、でなければ拉致、もしくはかどわかし。
だから、うちの場合、猫が授かり物であることは間違いないのだが、猫が我が家を選んだとは口が裂けても言えないのである。

既に傷は完治、半年以上が過ぎて我が家にもすっかり慣れ、朝な夕なに人を顎で使うようになった。
それでも猫は今日も、なごーんなごーん、と鳴き、私とにーさんの脛に顔を摺り寄せてなでなでのカツアゲを行うのだ。

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