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すねこすり

私は、うちの猫が足元に絡みつく様を、『すねこすりの様に』と表現する。転じて『すねこすりする』『すねこする』という動詞的使い方をする。
ご存じの方も多いと思うが、これはすねこすりという妖怪の名前に由来している。

犬ような姿をして、雨の降る夜に、夜道を歩く人の足の間をすり抜けて転ばせる妖怪、なのだそうだ。雨の日、というのが厄介であるが、総体としてはさほど害を与える妖怪ではない。
で、この妖怪を水木しげる先生がイラスト化した。

あらやだかわいい。
上は、そのイラストを元にしたブロンズ像だが、ころっとした姿が良く伝わる、かわいい造形である。なお、水木先生がイラスト化する時にモデルにしたというのが、下のリンク先にある犬の根付である。

あらこっちもかわいい。
だが、このかわいさとフォルムのためか、水木先生も犬として描いたはずのすねこすりが、いつの間にか猫であるという認識に変わって来た。考えてみれば、足元をすり抜けるというのもいかにも猫らしい挙動である。
結果として、現在流布するすねこすりのイラストやキャラクターは、一見して猫であると判断できるような外見を持つに至った。そして、ゲームやアニメなどいろいろな所で触れられてゆくうちに、すねを擦るという行動から、甘えてじゃれつく猫のイメージが付け加えられ、そのかわいさが一周回って(?)すねこすりの悲劇を招くのである。

映画『妖怪大戦争』に登場するすねこすりは、猫……と言うよりはハムスターとかモルモットっぽいデザインではあったが、それでも愛らしく人懐こい妖怪として描写されていた。しかしストーリーの終盤で人間の世界と妖怪の世界が隔てられてしまい、仲の良かった主人公にも妖怪は見えなくなる。ラストでは大人になった主人公が、側で必死にアピールすねこすりにも気付かず自転車を漕いで通り過ぎる。
……なにそのかわいそうなラスト!!!
それもこれもかわいらしく人懐こい、という属性が招いた悲劇である。そんなキャラクター性でなければわざわざこんな描写もされなかったろうに……初めて見た時、あまりの可哀そうさにうっかり号泣してしまったものだ。今も思い出すだけでちょっと目頭が熱い。
一番新しい『鬼太郎』のシリーズに至っては、すねこすりに脛を擦られると生気を奪われて衰弱し、やがては死んでしまうという余計な設定が加わった。だが作中で普通の猫として人と共に暮らしているすねこすりは、己が妖怪であるということを忘れてしまっており、優しくしてくれる老婦人の脛に猫の習性としてスリスリと甘えて擦り寄るのだが、そのせいで老婦人は衰弱してゆく……という話だ。
いやもういいよ可哀そうすぎるよすねこすりが!!!!
これもやはり号泣必至である。脛を擦って転ばせるだけの妖怪ではストーリーが膨らまない、という問題は良く分かるが、だからといってそんな可哀そうな事にしなくとも……ああ、すねこすりが可愛い猫の姿などになってしまったばかりに、制作サイドの興味を引いて、結果この仕打ち……決して水木先生のせいではないが、水木先生の描いたイラストがあんなにかわいくなければ、こんなことにはならなかったかもしれない……岡山の、もう忘れられかけた民俗伝承として、ひっそりと暮らしていたかもしれない。
一度与えられてしまった姿形や属性は、それを知る人が死に絶えるまで消える事がない、というのが妖怪や人間の認識の困った所だ。すねこすりが心安らかに過ごせる事を祈るばかりである。
などといいながら、私はこの記事によって『かわいいすねこすり』の姿の流布に手を貸してしまった……ごめん、すねこすり。

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