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永遠はどこにもないけれど

昨年9月に猫を家に迎えてからうなぎ上りに増えているもの。
それは猫の動画及び静止画のデータだ。
何気ない、ある意味失敗ともいえるような写真すら、削除するのは忍びない。鳴き声や喉鳴らしの音が入っている動画など、もうそれだけで宝物である。
だが、スマホやコンデジのメモリーカードにも限界はある。どこかへデータを逃がさねばならない。現状ではクラウドに収納してはいるが、使用可能なデータ量にも限界はあるし、なによりも民間企業が提供しているWebサービスには、いつか終わりが来るものだ。

カラーの写真はプリントアウトして保存する、というのも1つの手段だと思う。ネガフィルムからの紙焼きプリントに比べると、プリンターのインクの耐光性には若干の不安も残るが、やはり現物が手元にあると少しは安心である。
ちなみに、私は年季の入ったディープなオタクなので、Indesignを使用した同人誌の作成はお手の物だ。現代は金額に多少目をつむりさえすれば、1冊単位から私家版書籍が作れる。判型も装丁もカバーも好き放題だ。良い時代になった物である。なので、このnoteの記事や写真に関しては『本を自作して残す』という手段も取れる。現実問題としての印刷代の事を考えると本文はグレースケールにせざるを得ないが、それでも写真と、そこに添えた文章を本と言う形で手元に残す手段は持っている。

問題は動画である。
現在、ある程度見られるレベルの動画はインスタにアップなどしているが、それでも他所様にお見せするレベルに達しない動画はまだまだ死蔵されている。これをどこかに逃がさないと、いつかスマホもコンデジもPCもメモリが足りなくなってしまう。
頭を抱えていた私に、にーさんがそっと四角く黒い物体を差し出した。
「これ、前に使ってたノートPCから取り出したHDDにガワ付けて外付けHDDにした奴。1Tぐらい容量あるから、だんごのデータ用に使っていいよ」
あまり大袈裟な物言いはすべきではないかもしれないが、その時の私の偽らざる感情を言葉にすれば以下の通りとなる。

「貴方が神か!!」

これでPCを介してあらゆるデータを蓄積して行ける。
本当に良い配偶者を得られた縁に感謝である。
もちろん、電気機器である以上HDDも永遠ではない、いつかは壊れる。
それ以前に、HDDを接続するハードの改良のスピード如何によっては、ごく近い将来に接続できなく、もしくは認識されなくなる可能性もある。
それでも、Webサービスなどの他人の胸先三寸に翻弄されるよりは、よほど自覚的に結果を取捨できるではないか。
宝物は、己の腕の中に抱え込んでおきたい性分なのだ。

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