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猫に匂いをつける

実家は野良猫立ち寄り所だった。
住んでいるアパートの大家さんが資金面と病院担当、うちの隣のおばちゃんがごはんとトイレ担当、うちはただただ遊んでかわいがる担当。
野良を寄せて、慣れさせて、去勢して、面倒を見る。いわゆるTNRである。本当は大家さんは猫を家に入れたかったのだが、同居家族が大の猫嫌いの上に自宅で茶道の教室を開いていたため、猫との同居は叶わなかった。家の外での猫寄せにも常に文句を言われていたが、それでもめげずに野良猫の保護を続けた。店子である我が家やお隣さんも、表では息を潜め、家の中ではでろでろに甘やかして可愛がった。茶トラのチー、茶トラ腹白のハル、キジトラのふうちゃん、年よりの茶トラのあか、キジトラ長毛のチビチビ。入れ替わり立ち代わりやって来る猫に話しかけ、触れる猫は撫で、慣れてきたら蚤を取り、抱き上げ、とにかく可愛がった。まだフロントラインも発売されていなかった頃の、古い話だ。

年期を感じるハルの写真

大家さんの活動にはきっかけがあった。
私が小学生の頃、かわいい三毛猫が自宅周辺に現れた。スレンダーで美人で人懐こく、唯一の欠点は割れ鐘のような声だけという三毛猫は、近隣の家で大変に可愛がられた。そのうちの1件が、三毛猫を家に上げ、近隣の住人一同も三毛猫はあの家の飼い猫になったんだと安堵した。仕事の間は外に離し、帰宅すると自宅へ招き入れる形の、古いスタイルの『飼い猫』である。当時はそれが奇異な事ではなかった。
三毛猫は人間にはもちろん猫にもモテモテで、春には4匹の子供を産み、ふわふわの子猫は皆無事に貰われていった。
だが、次に妊娠した時、三毛猫は飼い主の手で腹の子供ごと保健所に送られた。
その非道は瞬く間に三毛猫を可愛がっていた周囲の住人に広まり、皆の胸に怒りと後悔と悲しみをもたらした。
大家さんがTNRをはじめたのは、それから数年後、生後半年ほどの猫の姉妹がアパートの側に現れた時からである。
もうあんなひどい事はさせないぞという住人たちのスクラムが、近隣を縄張りとする野良猫を多少は幸せにしたと思う。
それでもやはり野良猫は寿命が短い。当時は今ほど医療も発達しておらず、ガンや腎不全という治る見込みのない病気が進行した時には、安楽死を施される事もあった。大家さんは命を落とした猫たちをきちんと火葬して、戒名をつけて回向した。
猫を飼う上で一番大事な事、どのような形であれ最後まで一緒にいるという事を、私は大家さんから教わったと思う。

時々、うちの猫を撫でながら言い聞かせる。
「向こうに行く日が来たら、私の匂いを一生懸命探しなさい。私の匂いがついたチーやハルが先に行ってるから、見つけて仲良くしなさいね。チーやハルたちと一緒にいれば、隣のおばちゃんが美味しいご飯をくれるし、大家さんがおうちを作ってくれるし、ばーちゃんやおばさんたちが可愛がってくれるから寂しくないよ。ついでに、みんなに私の事を教えてあげてね」
でも、うちの猫は鼻が弱いから、自分でチーやハルたちを見つけられないかもしれない。だから毎日一生懸命撫でて抱きしめて私の匂いをいっぱいにつけて、チーやハルたちの方から見つけに来やすいようにしておくのだ。

うちの猫はフェイスハガー式撫で撫でを好む


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