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変化する家族のかたち

 

 第二子を授かるまで、第一子のお世話や仕事復帰、そして免疫力の低下が起こり、なかなかすんなりといかなかった。

 まず、体調を早く治して仕事に戻りたいということを優先したので、抗生剤を飲むことに躊躇しなかった。
 その結果、妊活再開時には子宮にマイクロポリープができるなど、半年は検査や治療にかかった。

 ただ、不妊治療が保険適応になったので、今までにないくらい、支払いの負担額が減っていて、あの頃からこの状況ならもっと若くして子供を授かったのではないかと、そして、老後資金も貯められたのではないかと痛感した。
 子供がほしい人は、躊躇せず、不妊治療クリニックへいき、積極的に治療に挑むかことをお勧めしたい‼️
 お陰で、夫の精神面も安定しながら過ごせたので、私の精神面も安定しながら、すごせている。

 ただ、妊娠14週までのつわりは1人目の時よりもつらく、仕事とお迎えから帰ると動けなくなるくらい、疲労もすごかった、、、。

 コープの冷凍食品には助けられました。
 おかずが入ってるものは、肉を調理しなくてよかったのが、あの時期には救われました。

 その頃は胎動はまだといわれてますが、一人目の時もムニュムニュと動く感覚があり、16週からは、ピコピコとお腹の中から蹴られてる感覚があり、夫にも手を当ててもらうと、わかったようでした。

 一人目の時には、胎動はシーンとしていたのに、二人目はとても活発で、身体も妊婦としてすぐ整っていくのが、わかりました。
経産婦さんは、こうして出産も短くなるのかと、不思議な気持ちになりました。

妊娠5ヶ月となりますが、お腹は服を着たら目立たず、周囲にもわからない様子です。
ただ、身体の感じ方は疲労や下肢の浮腫が感じやすくなり、階段がつらいなぁと思うようになりました。

今回は、産休前に年休が余っていたらつかうつもりです。前回もたくさん余った状態だったので、もったいないことをしたなぁと思いました。
そのぶん、仕事は前倒しで、自宅でも書類作成をするなど、隙間時間にやってるのは、子供がいないときとかわらずな生活です。

これも、子が成長してるからできることですが、新生児から幼児は昼寝していても、常に目を離せないので、仕事する時間は皆無です。まして、病弱な子や医療が必要な子供をもつ親は、何年経っても仕事どころではありません。
 私の妹も医療が必要な状態が高学年まで続き、そのぶん、母がずっと付き添いながらの生活でした。
 私は祖父母と父に育てられたような状態が続くことありましたが、母をみていて母親はすごいなぁとただただ、尊敬していました。
 
やりたいこともあったろうに、自分を責めながら育児と向き合う姿も、、、ただ、私が感じていたのは、子供としての立場で、母のせいでとは思うはずがないと思い、反対に母のもとだから妹も頑張れているのにと思うことが多々ありました。

それくらい、医療が必要な子供の母親たちは、心を痛めながら育児をしてることを感じて育ちました。

いざ、子供ができてみると、母の気持ちがわかるものだと思いました。
子供が原因不明の発熱で入院したときも、何か危険なことをしたのかと、日々の生活を振り返り、夫のケアの方法についても疑心暗鬼になり、検査結果からは何も原因がわからず、、、抗生剤を注射して、子供の生命力にかけるしかないと言われたときの絶望は一生忘れられません。

個室で二人ですごす時間が長すぎて、いつまで続くのかもわからなくて、そんな矢先に解熱してくれました。
そして、生かされたという気持ちになりながら、医師と看護師さんには心から感謝していました。
 退院後も日々は続きながら、無意識に過保護になっている自分がいたり、今ではイヤイヤ期がひどくなり途方に暮れる瞬間もあり😅

 それも、健康に育っているからこその証だと受け止めていくことが大切だと、心から思います。

 これからも、変化していく家族のかたちを楽しむ余裕をもちながら、子育てと仕事を頑張れたら理想だなあと、、、。

ここまで、読んでいただきありがとうございました。すきをしてもらえたら、うれしいです。

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