酸っぱいぶどう
長い期間なにかを「応援させてもらえてる」ってとてもしあわせだな〜と最近また思う。永遠に続くものはないから改編で番組が終わることなどはそれはそれで割とすんなり受け入れられる方だとおもう。 もちろん「ずっと続いてほしかった」という気持ちがゼロなわけじゃないけれど。
最近のおこたしゃべりで森本さんがおしりの手術をきっかけに自分の未来のことをいろいろ考えたという回がすごく好きな回でした。
わたし自身も根底に「はしゃいでると思われたくない」マインドがある。賑わってるところに「なんの話してるの〜?」って野次馬参加できないのである。それで損してきたこともたくさんあるはずなんだけど、そんなことよりはしゃいでると思われたくない。大人になって自意識過剰良くなってきたと思ってたけど、まだまだまだまだ足りてはないです。「たりない」ことをもう埋めようとすら思わなくなったのが、大人になった証なのかも。諦めたというか受け入れたというか。割り切りがうまくなることで自分を傷つけないようにしているだけなのかもね。
この回を受けてとりやまさんも自分のstandfmでいろいろ話していてそれもまたよかったんだよ。
おこたは2017年12月スタートでわたしは2018年の頭(1月2日)から欠かさず見ている。もう5年半が経つ。割とずっと同じテンションで応援させてもらえていてこんなしあわせなことはないと思う。わたしの性質が「ハマりにくく飽きにくい」のも一因なのかもしれない。
最初は目新しかったすべての仕事がだんだん慣れて「作業」になること、新鮮味が薄れて景色になっていくことに安心感もあり退屈も感じるのは人間あるある。刺激がないと耐えられないひとは外の世界を求めていくんだろうな。それが趣味だったり転職だったりするんだろうね。わたしも同じ仕事を丸12年くらいやっていて道内の島以外はほとんどすべての町を回った気がするし、わたしができる仕事の内容のバリエーションはやり尽くしました。業務内容の種類がかなり多い方なのはまだ刺激があって助かっているのかもしれない。そもそも外勤(出張と日帰り)と内勤(本社と出向先)と人よりも仕事のパターンが多すぎる。毎日シフトもバラバラ、行くところもバラバラ、組むメンバーも日によってバラバラ、業務も日替わりだったり週替わりだったりするからだいぶ飽きずにやれています。合わないメンバーがいたり、業務のきつい週もその週を乗り切ればリセットできるのがだいぶ大きい。その分肉体労働も事務作業も出張に伴う移動もめちゃくちゃ多いので労働が続くと心身が共にぼろぼろになっていく実感はちゃんとあります。日々の膨大な仕事に埋もれることで「目標」や「夢」もそうだし、「不安」も「退屈」も忘れて邁進できている。わたしには特別夢がなくて、これはずっと子どもの頃からなくて、それでも「毎日機嫌良く元気に生きること」を背骨に据えてがんばれています。十分です。
自分語りが長くなってしまった…。とりやまさんが芸人始めたときから憧れていた「夢」が「仲の良いふたりでトーク番組をすること」であって、もうそれはおこたしゃべりを始めたときに一回叶ってしまったと話していた。バイト先が潰れて収入源がなくなろうが毎日配信できるからたのしそうなとりやまさんの姿を見てきたんだけども、それはもう夢が叶っていたからなんだと思うと心があたたかくなる。夢が叶ってしまったからこそおこたがどうなっていくのが理想なのか、地上波の番組になることか、収益か、どんどん登録者が増えることなのか、自分でもわかっていないと話していて興味深かった。進む方向によっては理想とは乖離していってしまうのかもしれない。
もうひとつは「A-studio」みたいな番組をやりたいとずっと言っていて、またお馴染みシアターミネルヴァの夜枠でひとりの人生について掘り下げる新ライブを立ち上げるらしい。素晴らしいことです。以前配信でも東京03飯塚さんがゲストで来たとき(ちょうど配信1周年の日)にA-studioごっこしたのも記憶に新しい。
人と深く付き合っていくことが苦手だ。仲良くなっても最終的に疎遠になったり、近づきすぎて嫌われた経験があって「他人と分かり合う」ことを諦めている節もある。本音が永遠に言えない。わたしはほんとに性格の悪い人間なのだ思う。だから、ある程度の距離を保ちながら思い合うくらいがちょうどいいのかもな、と思う。「お互いを守るため」という名目ではあるが、寂しいことでもあるのはわかっているよ。嫉妬に焦がれてモチベーションにできるほど若くもなかった。執着を捨ててどんどん身軽になりたい。
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