私たちはオンラインで「密」になる。
毎日、区の防災無線のボヨンとした声の響きを聞いている。
「しんがたころな かんせんぼうしのため きんきゅうじたいそちを じっしちゅうです」
「ふようふきゅうながいしゅつは やめましょう」
「みっぺい みっしゅう みっせつを さけましょう」
いつもと同じ部屋で寝起きして、日差しがあったかくなってきたなあとか、
育てているサボテンが芽を出してきたなあとか、そんなことを考えながら朝、仕事の準備をして、ぼちぼち始めるか、と思う頃に丁度あのボヨンとした声が聞こえてきて、否応無しに我に帰らされる。
そうだ、今は緊急事態なのだった。
「緊急事態」に慣れてしまっていることが一番おそろしい。
家で仕事をすることも、外出時にマスクをすることも、1日に何度も何度も手を入念に洗うことも、もう慣れてしまった。
なんならちょっと可愛い柄のマスクを探してみたり、家でできる楽しみを見つけたりして、気づけばそれなりにこの緊急事態に馴染んでしまっている自分が怖い。最初は慣れたくなかったはずなのだ、こんな生活に。
在宅ワークに切り替わってもう2ヶ月近くになるということに気づいて愕然とした。
体感ではまだ1ヶ月も経っていないと思っていた。
思えば今年の春の記憶はほとんどない。ずっと同じ部屋で、ひとりで、同じことを繰り返しているために「思い出」が更新されていかないのである。
最後に友達と会って話したのがいつだったのかも思い出せなくなっていた。
そんななかである日、前職の同期とメッセージをやりとりする機会があった。
会話の中で「久々に同期で飲もうよ、オンラインで」という流れになり、
アプリのはるか下の方に埋もれていた「同期グループ」を数年ぶりに起動させた。
新卒で入った会社の同期たちは、少人数のくくりではたまに会っていたが、みんな転職したり結婚したり引越しをしたりして、少しずつ人生の主戦場が変わってきたタイミングだった。
大人数で集まることもグループで連絡を取ることも少なくなっていたので、「飲み会」を開催するには何かきっかけが必要な雰囲気があった。例えば忘年会とか誰かの結婚とか。
しかし今は「緊急事態」という“特別なきっかけ”がある。何よりオンラインのビデオ通話ですぐに参加できるので、皆「いいね、やろう」と盛り上がった。
その日は仕事が忙しく参加が難しかった人を除いて、皆それぞれの場所で好きなものを食べて飲んで、通話から出たり入ったり、途中参加したりしながら、他愛もない話をした。参加出来なかった人も、久々に動いたメッセージグループでコメントをくれた。
会話の内容なんてほとんど覚えていない。なんてことない仕事や近況の話である。
けれども、確かにこの夜のことは2020年の春の思い出として、私の中に残った。
不思議なものだ、「みっぺい みっしゅう みっせつを さけ」なければならないのに、疎遠になりかけていた友達との距離を、結果的に少し近くすることになったのだから。
この生活がいつまで続くのかはわからない。
次にいつあの同期たちと会えるのかもまだわからない。
新卒の頃、深夜の磯丸水産で、仕事帰りにバカ騒ぎした日々はもう戻ってこない。私たちも、世の中もずいぶん変わってしまったから。
けれど生活は続いていく。いろんな「やりたかったこと」「できたはずのこと」が少しずつ削り取られていくなかで、それでもやっぱりこの環境に慣れずにいたい。抗っていきたい。直接会えなくても、友達と話すこと、愚痴を言ったり馬鹿話をすることを諦めたくない。
私たちは時たまオンラインで「密」になる。
ソーシャルディスタンスを守ることと引き換えに、大事な人たちとの繋がりまで遠ざけられてなるものかと反抗しながら。
そんな小さな宣戦布告を心に持ちながら、今日もひとりの部屋であのボヨンとした防災無線を聴くのだ。