見出し画像

『産む気もないのに生理かよ!』 はじめに


「『子供が欲しくない』って言葉にするの、怖くない? 本当に〝そっち〞に流れちゃいそうで」

と女友達が言った。 30代の女だけの飲み会で定番の話題である「子供を産む・産まないの話」になったときのことだ。
 飲み会の構成員の人生ステータスはさまざまで、独身の者、既婚子ありの者、彼氏と同棲中の者、そして私。
 彼女の言葉は私に向けたもので、私は結婚していて子供はいない。「これからも〝ナシの方向〞で行く〝かも〞」と親しい人には言っている。
 既婚子ありの者の子育ての苦労話(いかに睡眠時間が確保できないか、いかに子供が離乳食を食べないかなど)や、家事育児をしない夫への愚痴 (部屋が散らかっているのになぜ掃除をせずゲームができる神経を持っているのかなど)を一通り聞き終えて、子なし勢が「今後どうするのか」を話す段になった。
 私が「やっぱり大変そうだし、今も普通に楽しいし、子供はいいかな。完全に決め切ったわけじゃないけど」と言うと、彼氏と同棲中の者が冒頭の言葉を投げかけた。
彼女は将来子供が欲しいと言っているが、彼氏が結婚や子育てといった「人生の重めのタスク」に及び腰らしく、事実婚かつ子なしの人生もやむなしか......と思いはじめているらしい。

「『子供が欲しくない』って言葉にするの、怖くない? 本当に〝そっち〞に流れちゃいそうで」

 言葉にしたらそっちに流される怖さか。たしかに。と思ってしばらく考えて、私は一つのことに気がついた。
「怖さもあるけど、本当は〝そっち〞に流れてしまいたくて、言ってるのかもしれない」

「子供を持たない人生を歩もうと思っている」と言葉にすることに、怖さを感じていないわけではない。

 それは「周りにどう思われるだろうか」といった類の怖さではなく、自分の選択を口にしてしまったら「ファイナルアンサー?」を迫られてしまうのではないか、という怖さである。

 本当にそれでいいの?
 口に出したら本当にそうなっちゃうかもよ?
 それでもいいの?

 と、概念のみのもんたが鬼気迫る顔で詰め寄ってくる。
「子供は持たない、いらない」とキッパリ言い切って、自分に言い聞かせているうちに〝そっち〞に流れて、本当にそれでいいと思えるようになってしまったほうが楽なのかもしれない。
 もう「子供を持ったほうがいいのかどうか」で悩まなくて済むから。

 私は子供が嫌いだから子供を持ちたくないわけではない。どっちかというと、子供とかかわることを面白がれるほうだ。しかしそれは、「自分で子供を産み育てるかどうか」という問題とはあまりにかけ離れている。
「やっぱり大変そうだし、今も普通に楽しいし、いいかな」というアンサーの内訳には、子供の好き嫌いなどでは到底決めきれないほど、複雑で膨大な「産まない理由」が含まれているのだ。
 だから「子供はいいの?」という問いに「いらないです。ファイナルアンサー!」とキッパリ言い切ることができず、いつも奥歯にものが挟まったような言い方になる。
今のところは。たぶん。かっこかり。

 ずっとミリオネアの回答者の席に座ったまま、概念みのもんたと向かい合って「ダ ラララララ......」という緊張感MAXのあのドラムロールを聞いているような気分だ。 いったんCMを挟んでほしいが、妊娠・出産のための動物としての時間的猶予は有限である。そんなに悠長に悩んでいる余裕はない。
 結婚して以降、ずっと回答者席に座らされているから、子供を産まない選択について毎日たくさん、本当にたくさん考えている。こんなに考えているのは日本で私くらいなんじゃないかと思えてしまうほど考えていて、ずっと脳が煮えそうだ。

 どうして女ばかりがこんなに考えなくちゃいけないんだろうと夫を恨めしく思うこともあったが、夫は私に産むことも産まないことも強制はしていない。私がどちらかをはっきり強く望んだら、きっとそれを叶えるために一緒に頑張ってくれるだろう。

 しかし私にとっては、決断を私に委ねられる夫がときどき心底羨ましかった。もし産むとなったときに体を行使しないという意味では、夫は出産の当事者ではないのだ。
 夫のことは愛しているけど、私も当事者じゃないほうがよかったな。ただ産む側の性に生まれてしまって、運が悪かったのだ。諦めて「産む側の性」として、しっかり苦悩するしかないのである。

 私のように子供を持つことに躊躇している人の話や、子供を持たないことにした夫婦の話というのは、思いのほか世の中には少ない。
 子育ての悲喜こもごもを綴つづったエッセイや、父や母になることの葛藤を記した本はたくさんある。子供が欲しくて奮闘する妊活・不妊治療の手記も最近は増えてきた。
 しかし、「子供がいない人生」に関して語った本は、たいてい「望んだけれど叶わなかった悲しみを受け入れる」か「独身子なしライフを謳歌する」といったもので、「最初から子供を望まずに生きている」人たちの話は本当に少ない。
 『ママにはならないことにしました』(晶文社)や『母親になって後悔してる』(新潮社)などの本が話題になったことで心強い気持ちにもなったけれど、いずれも著者は日本人ではない。

 やはり日本には母性神話や親になることの価値を重んじる考えがまだまだ根強く、なかなか女性が「母にならない選択」について語るにはハードルが高いのだ(ちなみに、「生物学上の女性には母性本能が生まれつき備わっている」といういわゆる「母性神話」は、科学的には証明されておらず、育児場面でよく使われる脳内のネットワークは子育てにかかわることで誰もが獲得しうるものであり、そこには生物学的な男女差はないという)。

 本だけではなく、ドラマやアニメなどのフィクションも「親子の愛」や「子育てで得られる人間的成長」に帰結する物語は数えきれないほどあるのに、夫婦二人で生きている人や子供を望まない人の物語はパッと思いつかない。
 住宅や車といった商品や、地域で催されるイベントなどもほとんどが「子供がいる家族」向けに設計されていて、子なしの夫婦はことあるごとに「お前らは社会の例外」 という空気を感じる。なんなら、近年は「おひとり様」のほうが市民権を得ているのではないかとさえ思う。既婚子ありの世界にも、おひとり様の世界にも、既婚子なしは微妙に馴染めず所在がない。
 
 それくらい、「結婚しているのに子供はいない」という人たちは社会の中でほとんどいないことになっているのだ。日本にも既婚子なしは12%ほどいるらしいのに、みんなどこにいるのだろう。

 これだけ「子供を持たない選択」について日夜考えているのに、先達の話が少ないというのはとても心許ない。
 きっと子供が欲しくない人は昔から一定数いたのだろうけど、「子供を持ってこそ一人前」「母親になることで女としての本当の幸せが分かる」的な空気の中ではあまり大っぴらに声を上げることはできなかったのではないか。特に女は。
 少子化問題が日本の超重要課題になって久しく、一方で「子供を持ちたいとは思わない」と考える若者も増えてきた。2023年に行われた民間の調査によると、 18〜25歳の約5割が子供を欲しいと思っていないという結果が出ている。
 こういったトピックスには「日本はお先真っ暗だな」と思わされる一方で、「子供を持たない」という選択をする人が増えてきたことで、救われている人もたくさんいるのだろうとも思う。
 「女は産む機械」という言葉が炎上すらしなかったであろう時代には、女は結婚して子供を産み育てる以外に生きる道が許されていなかった。それに比べたら、女が生きる環境は今のほうがずいぶんマシだ。
 「お前らのような身勝手な女が増えたから少子化が進むんだ」という馬鹿げたヤジはいまだに飛んでくるが......。

 私は既婚・子育て中の同僚と『となりの芝生はソーブルー』というポッドキャスト番組をやっている。2023年の8月から配信をはじめた。結婚や出産・仕事や人間関係などの、いわゆるアラサー世代向けのトピックについて話す番組である。
 番組では「子供を持たない選択」についてもよく話していて、同じような考え方の女性からメッセージをもらうようになった。「子供を持ちたいとは思えないけれど、 そんなことは周りに言いにくい」「子供を持つことにさまざまな不安があって、ずっと悩んでいる」そんな感想は決まって匿名もしくはDMだ。公開SNSに書けないところで、一人で悩んでいるのは私だけじゃない。

 「結婚しても子供を持たない選択について、語る人が少ないなら自分で書くしかない」と思い、気持ちの整理も兼ねてネットで書いたり、ポッドキャストで話したりしていたら、「そのテーマで本を書きませんか」というお誘いが来た。
 ネットの片隅で細々と文章を書いてきた私にとって、出版の話は願ってもないことだ。ずっと「いつか自分の本が出せたら」と思い続けてきた。
 しかし、もし万が一、この先に何か価値観が180度変わるような出来事があって、子供を持つ選択をするに至ったとしたら。この本を出したことを後悔するのではないか?
 「あの人、あんなに『子供を持たない選択』とか言ってたのに、結局産んだんじゃん」と陰で言われて、「どんなに子供はいらないと言っていた人でも、やっぱり子供が欲しくなるもんだ」という言説をむしろ補強することになるんじゃないか?
 
 そんな考えがよぎった。

 また一方で、冒頭の女友達の言葉のように、「『子供を持たない選択』について本を出してしまったら、本当に〝そっち〞に舵を切ることになって、もう戻れないかもしれない」という怖さもあった。
 子供を〝持つ選択〞と〝持たない選択〞、最終的にどっちに転ぶとしても、今のところファイナルアンサーが出せない私にとっては、この話題で本を出すことが「何か」を決定づけてしまうような気がして怖かった。
 しかし、「最終的にどんな人生を歩んだとしても、この迷いの記録を残しておきたい」という気持ちが勝り、今この文章を書いている。

 私が「子供を持たない選択」についてどれくらい、どのように悩んでいるのかを、 他ならぬ私自身が知りたいし、私と似たようなことで悩んでいる人に有益かは分からないが、少なくとも「似たような人もここにいますよ」と言いたい。
 そして、「女は子育てに喜びを見出すもの」「子供を産んではじめて本当の幸せを知るもの」という社会通念は、必ずしもすべての女に当てはまるわけではなくて、「子供を産み育てる」ということに躊躇してしまう人間も少なからずいるということを、世の中の人に分かってほしい。

 「子供を持たない選択」をする人を増やしたいと思っているわけではないし、子供を産み育てている人を否定したいわけでもない。
 また、私のような人が少子化を加速させているとも思わない。私の選択は私の選択であり、少子化問題とはまた別の場所にある。
 このままいけば、私の選択が日本の出生率の数字を向上させることはできないのだが、それでも「いろんな選択をしている人がいて、子供を持たない人生になってもなんだかんだ楽しくやってる人もいるよ」と言える社会のほうが、未来を生きる子供たちにとってもいいのではないかと思うのだ。

 もし万が一(現在のところは百万が一くらいの感覚でいるが)、何かのきっかけで私が子供を持つことになったとしたら、私の子は自分の母親がかつてこの本を書いたということに何を感じるだろうか。己の出生を否定されたような気分になるのだろうか。
 百万が一そうなったとして、それでも私は「自分の母親がなんの迷いもなしに妊娠・出産に踏み切った」と信じて疑わずに大人になるよりもずっといいのではないかと思っている。現に、脳が煮えそうなくらい悩んでいるから。
 まあ、「私の子」と文字にしてみた時点でかなり突拍子もない響きに感じるので、そんな未来は来ない説が濃厚ではあるのだが― 。

 しかし、ここは誰しも女から生まれ、女を避けて生きることは不可能な世界である。
 「女というのはみんな、なんの迷いもなしに妊娠・出産に踏み切れるもの」と信じて疑わないでいられる人ばかりだと困る。なぜなら、本当は全然そうじゃないから。
 意外なことに、「子供を持たない選択」やそれに伴う悩みについて書いたり話したりしていると、子供を持つ女性からも好意的な感想をもらうことが多い。
 はたから見て「なんの迷いもなしに妊娠・出産に踏み切り、子育てをしている」ように見える女性だって、少し前は「子なし女性」だったのだ。
 子供を持つ選択について他人に言えない葛藤があったり、悩んだりしたこともあっただろう。そんな彼女たちと私のあいだにある境界は、実はものすごく薄い紙一枚なのかもしれない。

 そんな意味で、この本は「子供を持たない選択」をしようとしている人だけに向けたものではない。かつて「子なし」だった子持ちの女性やその配偶者、「子供を持ちたい」と考えている産まない側の人にも手に取っていただけたら、これ以上嬉しいことはない。

◆『産む気もないのに生理かよ!』目次

◆Amazon販売ページ(予約受付中)

◆楽天books販売ページ(予約受付中)


いいなと思ったら応援しよう!