桃げるな卑怯者! 煉獄さんは桃げなかった!!
僅かながら ではあったが これまでの わたしにすれば 大きな前進 目には見ぬ 風がひるりと 吹き抜けた 我の毛だけが 先に気付いた 暑い日に 熱いラーメン いただきます ずるりずるずる 独りのリビング 笑うな 今はまだ その時ではない 私の未来が わかると言うのか 走った 思い切り手を 振りながら 風を切った 8年ぶりに 水道水 頭から首に 流れ行く ケツから垂れる サンクチュアリ 椅子に座り ほうと一息 アイスコーヒー 熱持つ胃の中 溜まる感覚 忘れないで 彼
昼過ぎ、会社のトイレに行った。 5つある個室のうち、奥からふたつ目だけ閉まっており、小便器は誰も使っていなかった。 チャックをおろし、いざ出さんとしたその時、個室から「ぷり」と音がした。 ─────────。 一瞬の静寂。おそらく、屁のこき手はやや汗をかいていたことだろう。 そこでおれはすかさず、「ぶり。ぶりり」とやや大きめの屁を返した。 ────────────────。 先ほどよりやや長めの静寂。 だが、彼がおれの屁によって救われたことは、その場の空気が伝えてくれ
勢いよく起き上がったはいいものの、肝心の脳みそはまだ寝転んでいると錯覚しているようだった。脚がよたよたとおぼつかない。一旦ベッドに座り直して、体を重力に慣れさせる。意識と身体は繋がってなどいない。毎朝それを感じる。意識はきっと別の次元に存在していて、そこから命令を肉体に送っているに過ぎないのだ。おそらく死んだ後は、意識は宇宙のどこか遠い場所に飛ばされ、そこで現世で得た記憶が蓄えられるのだ。この人生は、何か大きな共通課題を解決するための検証の一つなのだ。無数のパターンを網羅させ
#1.始まりはいつも無音 「吃音症」 その言葉の意味は、その言葉を覚えるより前に知っていた。最初に自覚したのは小学4年生の時。塾の夏期講習で、発表しようとした時だった。手をあげて、答えを言おうとした。が、上手く言葉が出てこない。それが、おそらく最初の記憶。自分の話し方が変だと、小学校を卒業する頃にはとうに気付いていた。 中学生に入り、事態はより深刻化する。忘れもしない、初めての英語の授業。新品の英語の教科書の、まだ硬いページをペラペラとめくり、先生が質問を出す。 “In
幸彦はその後もしばらく学生時代の記憶を旅していた。そのおかげでモーニングルーチンであるヨガをする時間がなくなってしまったが、そんなの些細なことだ。あえてやらない日を作るというルーチンにしようか、などとぼんやり考えながら、寒さを紛らわすためにあえて布団を思いきり蹴飛ばし、起き上がった。 幸彦は人と比べてよく頭が回る方だ。これは幸彦自身がそう思っているだけだが、あながち間違いではない。幸彦は幼い頃から本を読むのが好きだった。国語の教科書は、どうしてこんなに字が大きいんだろう。読
ナマズが酸っぱかった世界 ナマズっぱい
潔癖すぎて、公衆便所の便座の汚れを舌で綺麗に舐め取ってから用を足す
無数の針が肌を優しく、それでいて確かに刺してくるような冷たい空気が身体を包み、その日は目を覚ました。その日は、というよりも、ここのところ毎朝同じような朝だ。1人で過ごすには幾分寒すぎる。瞳を世界に触れさせてやろうと試みるが、瞼は何かで貼り付けられたかのように重い。眉間を必死に上に伸ばしている今の顔は、きっと恐ろしく不細工であろう。この珍妙な顔を見てけらけらと笑う架空の恋人を想像しながら、幸彦は右手の親指と人差し指の腹で目尻から目頭をなぞった。こうすると目やにが取れて気持ちがい
電車で、60くらいのおっさんのスマホから急に 「早よ起きやぁ、遅刻遅刻ぅ!」 というアラームが爆音で流れ出し、おじさんが慌てて消そうとするも消えない 「早よ起きやぁ、遅刻遅刻ぅ!」 という軽快な声が車内に響き渡る おじさんは小さい声で恥ずかしそうに 「すみません、すみません」 と口ずさみながら慌てて消そうとしているが、消えない 車内の冷たさと焦るおじさんの温度差は大きくなるばかりだった 「早よ起きやぁ、遅刻遅刻ぅ!」 もう何度目かわからないその軽快なアラームは
先日Twitterでこのようなやりとりを見かけた ツイート主「カドケシみたいなアパートがあったら、下にも横にも迷惑かけないから最高じゃん!」 リプA「でも空いてる空間がもったいないですね…空いてる空間にも部屋を作るというのはどうですか?」 リプB「いやそれ意味ないやん」 さあ、ここまで読むとあなたはどれがボケでどれがマジレスでどれがツッコミかわかるだろうか 言わずもがな、ツイート主は意見(彼の普段の投稿からしてネタ)を述べている それに対して、Aは明らかにボケてい
なんで出禁?入禁じゃなくて?
おじいさんは山で死ばかりに、 おばあさんは川で選択を。 すると、川の上の方から “Don't black all, Don't black all.”(何者も穢してはならぬ。何事も塞いではならぬ。 という叫びと共に、幾千もの骸が流れてきました。 「爺、しくじりおったな…!」 おばあさんは強靭な脚に軽く力を込めすくりと立ち上がり、叫びました。 “Mom, you outlaw. On it, get see man knees. Eek!” (母よ、あなたは道を誤
雄弁は金、沈黙は銀、copperは銅
百聞は一見にしかず という故事成語がある。 「百聞」とは読んで自の如く、「百回聞くこと」である。 「一見」とは、「一回見ること」である。 つまり、「人から何度も聞くより、実際に自分の目で見た方がよい。」という意味である。 しかし、故事成語は何千年も前の中国の経験則からなるありがたいお言葉を、数百年前に日本語に直したものである。その言葉が、現代社会でも全く同じ意味で解釈・活用されるべきかと問われると、答えに悩むのも事実である。それでは、「百聞は一見にしかず」は、どのように
豚に信者 猫に交番