最近は午前中ずっと寝てる

14時くらいから本気出す方が生産性高いことに気づいた。17時くらいからランニングに出ると、もうあっという間に夜になっていて、晩ご飯つくるかその前に買い物行くかして、魚沼のお米がおいしいなあと言ってるともう22時だ。またちょっと作業して翌2時3時。寝る。それでいいのだ。

睡眠、運動、食事。生活がまわっている。それだけで十分に生物として満ち足りていると感じる。

刺激は自分で産み出す。しがらみに顔を出す。縛りと歓談する。自分にかかるストレスをデザインする感覚を持てば、そんなにすぐ死にたくならない。絶対的な防御を持った状態で、死なない程度に自分を傷つける。定期的に傷つけるためのシステムをちゃんと組む。俺はその痛みから何かを学べる自信がある。またビルドアップされる。

前に進むエネルギーは土台がしっかりできた後でいい。なんか元気だし暇だな、これやってみるか。元気になったあとに、その余力から自己を推進すればいいわけで、その前提が、「〜しなければならない」という呪いによって崩されるようじゃ本末転倒。

この転倒する本末をどれくらい体感できるか。言葉や知識として入っているだけだと逆につらい。そしてこれもまた、転倒を繰り返して傷つく以外に、俺は得る方法を知らない。

傷つきが気づきを産み、気づきは豊かさになる。そう考えている。だから、たくさん傷ついたここ数年は、たとえ外から惨めに見えようと、とても豊かだったと思う。奥行きはどんどん広がっていった。まだまだ広がるだろう。楽しみ。

学歴も資格もないフリーターだ。けれど周りの大人が言うように、俺も深いところでは自分のことを順調に進む23歳だと思っている。というか、信じていないとこんなことしていない。

たまに、しっかりとコースに乗った同世代に対し引け目を感じることがある。いや、「たまに」じゃないな。「結構な頻度で」だ。でも、そう思うことも徐々に減ってきた。ふらつき者が板についてきた感がある。外は日光があったかい。


なんか説教臭いな。これでも書き始めは日記のつもりだったんですよ。走ってくるか。

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