桃屋のアレがアメリカ人の夫を魅了しすぎている件
「困ったことになったよ」
キッチンで食事の後片付けをしていたときに、夫が真顔でわたしに語りかけてきました。
声が深刻です。一体なにごとかと、彼の顔を見つめながら、その次の言葉を待ちました。
「僕の大好きな、赤いウマミのやつがもう残り1個しかないよ」
……はい?
わたしは、真顔のまま数秒待ちました。夫は、ニヤリと笑いました。
夫が言っているのは、日本が誇る旨味食品、食べるラー油のことです。
桃屋のこの商品は、アメリカのアジア系スーパーでも売っています。これを見つけたときに、日本で一時期食べるラー油が爆発的に流行ったことを、夫に話して聞かせました。なんでも試してみたがる夫は、それなら一度食べてみようといって、そのとき一つ購入しました。
それからです。我が家の棚に、食べるラー油の在庫がうず高く積まれるようになったのは。
夫をして、「日本人、天才ダネ」と言わしめたこの商品。
確かに美味しい。これを白ご飯に乗せて食べてもいいのですが、料理と掛け合わせると味がぐぐっと決まります。
例えば、卵かけご飯へのちょい乗せ。
熱々ご飯の上に、半熟目玉焼きと、白だし、醤油を少量ずつ加えて、さらに食べるラー油をちょっぴり。それをがががっとかき混ぜて食べます。うまい。ラー油ありの卵かけご飯を知ってから、ラー油なしだと物足りなく感じている自分に気づいてはっとします。
ちなみに、生卵じゃなくて半熟目玉焼きにするのは、アメリカの卵が生食できるように殺菌されていないからです。毎回ちょっと火を入れて、お腹を壊すリスクを下げている(つもり)。
でも、夫は、本当になんでもかんでもラー油を乗せて食べたがります。カレーライスでも、炒め麺でも、お好み焼きでも、わたしが作るあらゆる料理をラー油味にして食べるのです。
そのことに、わたしはちょっと引っかかっていまして。
最初は、ハマっとるなーと横目で見る程度だったのですが、一時の熱狂にしては長引いていて、すでに年単位でハマっています。
いや、わたしの料理は全く凝ったものではありません。多少、アレンジしてくれてもいいんです。
でも、わたしもレシピを見て調味料を配合したり、新しい味を模索したりしながら作っています。どんな料理も、最後に味見をして整えてから出しています。
それを、あっさりと、いとも簡単にラー油味に仕上げて食べる夫。正直なところ、快いとは言えません。それなら、もう最初からラー油をぶっこんでおけばいいんじゃない?という気がしてきます。
あるときから、わたしは取り締まるようになりました。
「ねえ、なんでもかんでもラー油を乗せるのはやめてほしいな?」
と優しく注意していました。それでも改善される様子がないので、今では、見つけるたびに、
「おい」
と声をかけるようになりました。夫もそう言われるのがわかっているので、自分の皿を冷蔵庫の横までもっていき、一人でこそこそ静かにやって、ブツを混ぜこんでからテーブルに運んできます。
そこまでして食べたいんか。もう中毒やな。
だから、今日、「困ったことになった」と夫が言い出したとき、わたしは、
「君は、少しアレから離れた方がいいよ」
と、たしなめるように言いました。
夫は、食べるラー油に魅了され過ぎている。ちょっと怖いくらいに。決して味オンチではないのに、あの味に舌が支配されている。化学調味料の中毒性なのか?よくわからないけれど、いまの頻度で食べ続けるのは、体にも良くない。
「あれがあると、豆腐とか、豆みたいな『体にいいけど味が退屈なもの』を、美味しく生まれ変わらせることができるんだ。そうすると、体にいいものをもっと食べられるだろ。だから、やっぱりアレがあった方がいいんだ」
夫は、反論してきました。こういう議論をすると、無限に反論を思いつくタイプの人です。もはや、この議論を楽しんでいます。
なんとでも言うがいい。次にアジア系スーパーに行っても、わたしは買わないから。少し毒抜きをしたまえ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
《アメリカ人の夫とのエピソード》