見出し画像

国際結婚のリアルな日常ーお姑さんとの関係

誤解を恐れずにいうと、嫁姑問題はどの国にもあります。ある種、普遍的な問題です。

アメリカの、わたしの周りでも、この関係にあくせくしている人がいます。

子どもの教育方針にまで口出ししないでほしい。
家庭内の大きな決断に影響力を行使しようとするのはやめてほしい。

こういう話を聞くと、アメリカも日本も、人間関係の仕組みはさほど変わらないんだなと思ったりします。

さて、この週末は、義理の母が我が家に遊びにきていました。

結論からいうと、わたしと義母との関係は、まるで友達のようなフラットなものです。秋の爽やかな風のようにカラッとしていて、気持ちがいい関係です。

義母が遊びにきている間、わたしはいい意味でなんにも期待されていません。これがいいところです。期待されないってとても気楽で心地よいものです。

これは、どんな関係性であれ、個人を尊重するアメリカの文化的な背景と、義母自身の人格に由来するものと理解しています。あとは、義母が遊びにくることがわたしの負担にならないように、という夫の配慮もあるかもしれません。

例えば、食事については、いつも外食するか、家で作るなら夫が作ります。今回は、義母にとっては珍しいだろうということで、わたしが一回作りました。でも、これは「日本の食べものを作ってあげたい」という動機であって、「わたしがやらきゃ」という義務感は皆無です。片づけは、いつもどおり夫と二人で一緒にします。

義母は、おしゃべりするのが好きで、話し相手がいるとどんどん話したくなるタイプの人です。わたしは、大半の時間を、義母とのおしゃべりをして過ごします。それだけで、「ありがとう」と感謝してくれるような人です。

わたしは、こんなお友達のような関係でいてくれる義母に、感謝しなければなりません。

実は、ついさっき、この関係を象徴するような会話がありました。

義母は、もう一晩寝て、明日の午前中には自宅へ帰る予定になっています。おやすみなさいの挨拶をしているときに、わたしは、

「明日の朝、時間が大丈夫だったら、子どもたちをバス停まで送っていきませんか」

と提案しました。義母は、これまで、子どもたちをバス亭へ送っていったことはないし、子どもたちも喜ぶかなと思ったのです。

それを聞いて、義母は、

「もちろん。そうするわ」

といって、にこりとしました。そして、その後、思いがけないことを言ったのです。

「じゃあ、アナタはそのときまで寝ているのね?」

義母は、わたしが子どもたちの送迎を頼んで、自分はベッドで遅くまで寝るつもりだと思ったらしいのです。

わたしは一瞬なんのことかと思って、若干頭がバグりました。

「いえいえ、一緒に行くってことです。もちろんです!」

と言って笑ったのですが。

そんなのアリなの?そんな大胆なこと、わたしは思いつきもしなかったんだけど。

義母の言いぶりは、「オマエ、わたしに子どもを押し付けて、自分だけぐうぐう寝るつもりちゃうやろな?!」とすごんだわけでは全然ないんです。わたしが言えば、代わりに子どもたちを送っていってくれそうな雰囲気で言うんです。

嫁姑の関係で、こんな問答、普通はあり得ないんじゃないかな。

いつも優しい義母には、いつも優しくしたくなります。これからも、よろしくどうぞ。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

《よろしければ、こんな記事も》

いいなと思ったら応援しよう!