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アメリカ人、見送りあっさりしすぎ問題

わたしは、常々思っていたんです。

アメリカ人って、見送りあっさりしすぎじゃない……?

いや、もちろんアメリカにはいろんな人がいます。異なる文化に属する人が集まった移民の国ですから、十把一絡げにして「アメリカ人は…」と語れない複雑さがあるのはわかっています。

なので、誤解と偏見を承知の上で、わたしの目に映るアメリカ人について書いています。

という前置きをしてもなお、アメリカ人の見送りはあっさりしすぎです。

例えば、子ども同士を遊ばせるプレイデイトのとき。アメリカでは、よっぽど家が近くて、親同士も気が知れた仲でない限り、子どもだけで勝手に遊びに行ったりするのは稀です。なにせ、車がないと友達の家に行けないのが普通です。

なので、子どもたちが学校以外で遊びたいときは、親子で相手の家を訪れたり、家に呼んであげたりします。小学生になれば、子どもだけを置いていって、後で親が迎えに来るというパターンもあります。

いずれにしても、こうしたプレイデイトが終わって相手の家から帰るとき、玄関先でさよならの挨拶をします。今日は呼んでくれてありがとう、次はうちに遊びに来てね、といった会話をします。向こうの親御さんと軽くハグなんかして。

そして、ドアを出て、子どもたちが振り返ってもう一度バーイと手を振ります。その顔が前に向きなおるやいなや……

ばたん、ガチャリ。

背後でドアが閉まり、向こうから鍵ががちゃんとかかります。その音が、わたしたちの耳にはっきり聞こえます。

あれ、締め出された?
プレイデイト、楽しかった…よね?

安心してください。締め出されていません。プレイデイトも楽しかったはずです。これは、アメリカではなんの変哲もない、普通のさよならのプロセスです。

もう一つあります。

わたしの母が初めてアメリカに遊びにきたとき、夫の両親に会いに行きました。わたしたちの住まいから、車で5時間ほどの距離です。

あのとき、母と義両親とは初対面でした。アメリカでの結婚式にも、日本での披露宴にも、親同士が顔を合わせる機会がないままだったのです。

母と義両親は、わたしと夫が通訳として間に入らないと会話が成り立たちません。でも、数日滞在するうちに、互いの人柄に触れて、少しずつ打ち解けていくのがわかりました。

そしてお別れの朝。日本とアメリカの距離を思うと、次に会うのはいつになるかわかりません。母は、わたしに通訳してくれといって、義両親に向かってこう言いました。

「今回はお会いできてとても嬉しかったです。あなた方ともっとお話ししたいから、日本に帰ったら英語の勉強をします」

短いけれど、心のこもった挨拶でした。わたしは英語に訳して、彼らに伝えました。

それから、わたしたちは車に乗り込みました。母は助手席に座り、シートベルトを締めて、ウィーンと窓を開けました。

その窓の先に、義両親はもういませんでした。既に玄関のドアを開けて、家の中に入るところでした。

あれ、お見送りなし?

母が拍子抜けしたのを、わたしは後部座席から目撃しました。日本だったら、こういう場面では、車がすぐ先の角を曲がるまで、手を振りながら見送るものではないでしょうか。母は、常識的な日本人の感覚で、ごく自然にそういう展開を期待していました。

わたしは、「あっ」と思いました。後で、母に「アメリカではね…」と解説したのは言うまでもありません。

アメリカ人ってドライ。日本人って繊細。

わたしにとって、この問題はとても単純だったんです。

それが今日、意外な形で新たな視点を発見しました。

この週末に遊びにきていた義母が、今朝帰っていきました。子どもたちはもう学校に行った後で、わたしと夫が、ガレージの外まで出て見送りました。

「体に気をつけて。あまりスピード出さずに運転してくださいね」

わたしたちは、挨拶を交わして、ハグをしました。

義母は、車に乗り込むと、携帯でナビの設定や運転中に聞くオーディオブックのセッティングを始めました。わたしは、アメリカのスタンダードな見送りがどんなものかはよくわかっていますが、それでも、車が50メートルほど先の角をゆるく曲がって、見えなくなるまで見送るつもりで待っていました。

1分くらい待っても、義母はまだセッティングに手間取っています。

「待ってくれなくていいわよ」

義母が、窓を開けてわたしたちに言いました。夫が、

「日本人はね、車が見えなくなるまでちゃんとお見送りするんだよ」

と笑いながら説明しました。すると義母は、それはありがたいけど、と笑顔をつくりながら、

待たれると急かされているみたいで焦っちゃうから、もう中に入って

と言いました。

そのとき、わたしは、「ああ、そうか」と思ったんです。

人によっては、そばで待っている方が、早く帰れみたいな感じになっちゃうんだ。日本では、しっかり見送るのが礼儀だし、丁寧な対応だけど、その文化に属していないと、受け止め方も変わるんだなあと。

よく思い出してみると、わたしにも、見送られているがゆえに、早く行かなきゃと焦ってしまった経験があります。アメリカ人に限らないかも。

義母の見送りがいつもあっさりしているのは、わたしたち日本人とは違う、こういう別の配慮があったのかもしれません。

みんながみんな、義母のような受け止めをするとは思いませんが、今度から、アメリカで人を見送るときには、このことを心の片隅に留めておくつもりです。

(おわり)


読んでくださって、ありがとうございます。

《アメリカ人問題シリーズ》


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