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アメリカ人の夫からわたしの日本語にクレームをつけられた話

アメリカに住んでいても、ヘビー和食イーターの我が家。週の大半は、和定食みたいなご飯を食べています。

ひとえに、炊事の主担当であるわたしの意向が強く反映されているからです。でも、それだけでなく、家族全員が和食好きだからでもあります。

なので、我が家のパントリーには、日本食材の在庫がずらりと並んでいます。例えば、食べるラー油は、夫によって随時補充されていて、途切れることがありません。それと同じように、ポン酢の在庫が切れることも、我が家では通常あり得ないことです。

ただ、ポン酢は、食べるラー油と違って、普通のスーパーでも簡単に手に入ります。いつでも買えるので、ごそっとまとめ買いをする必要がないのです。

そうしていたら、つい先日、なんとポン酢が底をついていることに気づきました。その日の夕飯は餃子でした。餃子にはいつもポン酢をつけて食べるので、ないと知るや、夫と子どもたちがざわつき始めました。

まあ、醤油と酢で作れますけどね。そのときは、何日か前にテイクアウトしたときに付いてきた、ネギとかスパイスの入ったポン酢が冷蔵庫に残っていたので、それで事なきを得ました。

今日、スーパーへ食材の買い出しに行く前に、夫が買うものリストを作っていました。冷蔵庫をのぞきながら、夫が言いました。

”Honey, we don’t have Ponzu, do we?”

わたしは洗い物をしていたのだけど、そうそうポン酢!という思いが先走って、思わず日本語で答えました。

「ポン酢、いるよ!」

それを聞いた夫は、

”Oh, ok. Then we don’t need to buy it.”

わたしは洗い物をしている手が一瞬止まりました。「いる」って言っているのに、なんで買わないんだ。頭の中にハテナが浮かんで、夫に聞き返しました。

”Why not? We don’t have Ponzu.”

今度は、夫の手が止まりました。考えています。夫の頭の中に浮かび上がってくるハテナが、透けて見えます。

"You said 'ポン酢いる', which means there is Ponzu, right?"

それを聞いて、やっとわたしは夫の言っている意味を理解しました。

「いる」っていうのは必要だって意味だよ。ポン酢はモノだから、「ある」か「ない」という言い方をして、「いる」「いない」とは言わない。

私の説明を聞いて、夫はすぐにのみ込みました。ああ、そうだったね、と、むかし勉強したこの文法を思い出したようでした。

でも、同時に、はぁとため息をつきながら、首を軽く横に振りました。たぶん、心の中ではこんなことをつぶやいてはず。

なんてわかりにくいんだ。なんでモノとヒトとで言い方を変える必要があるんだよ。まるでひっかけ問題だな。

そして、私の方をゆっくり向き直って、懇願するような目をして言いました。

「ねえ、ハニー。今度からは、『ポン酢いる』だけじゃなくて、『ポン酢がいるから買わなきゃね』とか、『ポン酢がいるからリストに入れて』とか、もう少し情報をつけ足して言ってくれない?」

……至極まっとうな要求ですね。

毎日一緒に暮らしているとはいえ、彼はアメリカ人です。日本語を学んだことはあるけれど、日本で暮らした日々はどんどん遠ざかるし、ときどきわたしからこんなわかりにくい日本語を浴びせられるくらいで、いまは体系だって日本語を学んでいるわけではありません。

それに、ここアメリカでは、夫が日本語能力を上げることよりも、わたしが英語力を上げることの方が、切実に必要です。

なので、わたしはしおらしく答えました。

「次からは、そうさせていただきます」

(おわり)


読んでくださってありがとうございました。

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