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【アメリカ】クリスマスにまつわるカルチャーショック
アメリカでは、クリスマスのこの時期、親しい人たちとの間でプレゼントを贈り合います。
我が家では、プレゼントを贈る対象は、家族と親戚までです。
でも、アメリカ人の友人と話していると、職場の上司や同僚一人ずつにちょっとしたギフトを用意したり、ご近所さんたちにクッキーを焼いてラッピングして渡したりするという人もいます。
なるほど。クリスマスは、アメリカ版のお歳暮シーズンなんだな。
ここまでは、ふむふむと問題なく理解できます。が、子どもたちが学校に通うようになって、驚いたことがあります。
それは、学校の先生にもクリスマスプレゼントを渡すという習慣です。
アマゾン、スタバなどのギフトカード
美容系のグッズ
ホリデーギフトの詰め合わせ
・・・
この時期、保護者たちは、こぞって先生に贈りものを届けにいきます。子どもが書いたクリスマスカードや手作りのクラフトのような、ささやかで微笑ましいプレゼントもありますが、それらはあくまでもおまけです。本体は、親が用意するがっつりとしたギフトです。
普段、子どもたちへの教育に尽力してくれている先生方に、感謝の気持ちを伝える良い機会でもあります。
もちろん、贈りものをするかしないかは完全に各家庭の判断に委ねられています。誰からも強制されてはいません。毎年、PTAを通じて、先生へのプレゼントは決して必須ではないと念押しする一文が、連絡メールにどこかに添えられています。
でも、おおっぴろげには誰も言いませんが、保護者はみんな頭の中で計算しています。
大多数の人がプレゼントを贈る中、何もしないのは逆に目立ちます。先生も人間ですから、良くしてもらったらなんらかの形で返そうという心理が働きます。子どもへの関与だったり、次の学年へ移行するときのクラス分けだったり、ハイレベルのクラスを希望する子どもの推薦状に書く言葉だったり。
贈りものをしないことで、その機会がもし損なわれるとしたら。
プレゼントがどれほどの効果を持つのかは、検証するのが難しいです。というか、本来はプレゼントによって先生の行動が変わってはいけないはずです。実際、さすがに、誰の目にも明らかに映るようなあからさまな贔屓や不公平な扱いは見られません。もしあったら問題になるでしょう。
でも、やっぱりどんな間柄であれ、人間関係は育てていくものです。保護者と先生との関係もそうです。プレゼントは、その潤滑油として機能します。そして、先生と保護者との関係は、先生と子どもとの関係や、先生の子どもに対する接し方と、全く無関係とはいえません。
保護者としては、自分の子どもには、少しでも良い環境を作りたいとストレートに望んでいるはずです。そのためなら、先生に贈りものをするかしないかという問いの前に、多くの人の答えは「する」の一択になるわけです。
翻って、日本だったらどうでしょうか。
わたしの理解では、原則として、国公立の学校の先生は、保護者からの贈りものを受け取ってはいけないことになっているはずです。公務員である先生は、法律や教育委員会の倫理規定によって、利害関係者からの接待や金品の受領は、倫理違反になるのだとか。
アメリカでは、日本でいう「倫理違反」が違反になりません。それどころか、季節の習慣として、開けっぴろげに行われているのです。
アメリカという社会は、全体の公平さを確保することよりも、自分の意思をどう実現させるかに人々の意識が傾いているようなところがあります。もしかしたら、みんな息をするような自然さで、袖の下を贈っているのかもしれないなんて気もします。
先日、アメリカ人の友人と、学校の先生にどんなプレゼントを持っていくかについて、立ち話をしていました。話の途中で、日本では先生に贈りものを渡すことは原則禁止されていることに言及すると、彼女は目を丸めて、理由を問いました。
「だって、先生はクラスの子どもたちに公平であるべき存在じゃない?そこで親たちがプレゼント合戦を始めちゃったら、それはつまり…...」
そこまで言って、わたしは言葉を濁しました。すると彼女が、
「賄賂ってこと?」
とわたしの言葉を継ぎました。そして、そうだよね、と笑いました。
なんだ、わかってるやん。
でも、それがいいかどうかなんて、ここで考えても仕方ありません。わたしは、この世界でうまく渡り歩いていくために、しっかりと長いものに巻かれて生きていくのです。
今年もギフトカードにちょっとしたプレゼントを添えて、明日先生に持っていくつもりです。
(おしまい)
読んでくださってありがとうございます。
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