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日本でもアメリカでもマジョリティになれない
わたしは、アメリカに住む日本人です。
普段、アメリカではマイノリティとして暮らしています。何がそう感じさせるかというと、やっぱり言葉と文化だと思います。社会全体が共有しているスタンダードな考え方を理解し、自分もその一部を構成しているという感覚。アメリカにいると、そのマジョリティたちの輪を、わたしはいつも外側から眺めています。
日本に帰ってくると、自分の世界に戻ってきたと感じます。マジョリティとしての感覚が呼び覚まされ、心地よく気を緩めることができます。だって、わたしはこの社会の内側に、頑張らなくても入っていけるからです。
ただ、わたしが勝手に感じているこの帰属意識は、もしかしたら一方通行の片思いなのかもしれないという気がし始めています。わたしはもうこの社会の一員ではなくなりつつあるのではないか。
なぜそんなことを思ったかというと。
夏に休暇で日本に帰ってきてまだ2日ほどしか経っていないのですが、既に何度か外国人と間違えられる経験をしました。
まあ無理もないことです。子どもたちが純日本人ではないことは見てわかるし、日本に来てからも相変わらず英語で話し続けています。その子たちを連れているわたしを見て、外国から来たと推測するのは、理にかなっています。
こんなことがありました。
地下鉄に乗り、座席に座っていたら、年配のご夫婦が前に立ちました。わたしの隣の若者が席を譲り、男性が奥さんに一言なにかいって座りました。わたしも奥さんに譲ろうとして席を立ったら、奥さんがごもごもとマスクの裏で何か言われました。よく聞き取れなくて、え?という顔をしたら、奥さんがさっきより大きめの声でもう一度繰り返しました。その言葉は、
「No thank you.」
でした。なぜ英語、と一瞬思いましたが、反射的に「Why not?」と口から出てしまいました。すると奥さんは、「Because I’m fine.」と答えました。わたしはにこりと笑って、彼女の目に映る「外国人」としてのわたしのまま、席に戻りました。
また、浅草寺に行ったときも。息子と娘が英語でわあわあ言い合っているのを、にこにこ顔で眺めている年配の男性がいました。子どもらがわたしに話しかけるのを見て、わたしを子どもらの母と認めたらしい。わたしの方を向いて、
「中国の人?」
と尋ねました。わたしは、あ、まただと思いながら、「違います」とはっきり答えてから、日本人でアメリカに住んでいることを説明しました。
その後、英語で話していたのになんで中国と思ったんだろうなとちょっと気になりました。中国人旅行客が多いからというのもあると思います。でも、子どもたちの容姿や言語以外に、わたし自身にも日本人らしからぬなにかがあるのではないかという気がしました。それがなんなのかは自分ではよくわからないのですが。
軽い国籍迷子です。いや、わたしは全く迷子になっていない。でも、周りの人を迷子にさせてしまうときがある。
アメリカに住んでいるときはマイノリティだけど、日本に帰ってきたらマジョリティ。
そう思っていたのに、どうやら日本でもマイノリティになりつつある。そんな気がしています。
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