17期 砂利ボーイのはとこ
おはようございまーす!
砂利ボーイのはとこことささおです!🍄
気に入っていたにも関わらず浸透しなかったこのあだ名を使うのも、あと数日間と思うと寂しい気持ちでいっぱいです。
100万回擦られた言葉を使うんですけど、とうとう引退ブログを書く時期になってしまいました。先輩たちが軒並み同じことを書いていて「揃いも揃って大袈裟な」と思っていたら、本当に一瞬でこの時が来てしまったように感じてます。時の流れって恐ろしい。
最後のにいがた総おどりが終わって鑑賞に浸りながら、隣にいる藤川くんと一緒に小田急の中で書き始めたんですけどあえなく頓挫。結局公開日の前日にアセアセしながら書いています広報部さんごめんなさい。
僕の引退ブログは、
①あの日の自分に胸を張れる舞台を
②取り敢えずやってみよう
③特大の感謝
の三本立てでお送りしたいと思います。
書き終わって読み返してみると暑苦しいかつ読むのにエネルギーを使うものになってしまったので、暇で暇で仕方なかったりしたら温かい目で読んでください。下駄で頑張るみんなにはそんな時間あまり作れないかもだけど笑
それでは早速入っていきまーす!
①あの日の自分に胸を張れる舞台を
この言葉、覚えている物好きの方はいますでしょうか。多分いないですね。これは、僕が担当をさせてもらった23単独公演のEDVで書いた、単独公演に向けた想いです。
振り返れば、僕が下駄っぱーずで過ごした2年半は、全てこの言葉に詰まっている気がします。
僕の下駄人生の中で最大の転機(とは言えないくらいの時期だけど)になったのが、22単独公演『▷PLAY』。半ば空気に流されて下駄に入った自分にとって、それはそれは衝撃でした。一人ひとりが捧げる熱量、団体としての力の入れ方。そして何より、下駄っぱーずの「本気」が見えた。自分が入ったサークルは、こんなにもすごいところだったのかと、全身の肌で感じたのを覚えています。1年生にとって単独期間って暇な時間のように思えるけれど、デビューしたてのあの時期に単独を行うのって、実はとても意義のあることなんじゃないかなと思います。あのステージを見て下駄を頑張ろうって気持ちになった人、たくさんいるんじゃないかな。みんなに知っておいて欲しいのは、僕たちがやっている活動は本当に人の心を動かすことができるってこと。だって、2年前の僕自身がそうだったから。単独に限らず、本気で何かに打ち込む人ってとってもかっこいい。
でも、下駄のステージがすごいと言ってもらえるのは、本気でやっている存在を見てそれに負けないように本気でやることを歴代の先人たちが続けてきたから。だからこそ、現役である自分たちがさらなる本気で臨まなければならないんですね。その気持ちもあって、僕は単独担当をやりたいと思いました。
ちょっと話がそれましたね、戻します。22の単独公演で見たあの景色が、ステージでキラキラと踊る15.16期が忘れられなくて、僕の下駄人生が本当の意味でスタートを切りました。
紛れもなく「あの日」が、僕の原点だったわけです。
それからずっと、あの日憧れた姿になることを夢見て2年半踊ってきました。先輩たちに追いつけるように、先輩たちに認めてもらえるように。今思えば、良くも悪くも目標を崇拝しすぎて過去に囚われてますね。僕が22下駄っぱーずの話をしすぎて、もういいよって思ってた人たくさんいると思います笑。
だけどそれだけじゃなくて、やっぱり僕は背中で語れる3男になりたかった。自分が先輩たちに追いつくだけじゃなくて、後輩たちが後に続きたくなるような存在になりたかった。たくさん盛り上げて、練習にいてくれたら嬉しい。だけど本番はしっかりと踊りで魅せる。僕がモデルとしていたのは、そんな存在でした。
このブログを書いていることで、忘れかけてた大事な気持ちを引退間際にして思い出した気がします。現時点では、理想とした姿にまだ到底なりきれてない。だけど、残りわずかに迫った現役期間の中で、自分の理想にできる限り近づくことは可能だと信じてます。なんたって、下駄民は本番前の追い上げ方がすごいからね。いつもいつも、本番直前の数日間が1番伸びるんだから。なら、僕個人だって同じことが言えるはず。あと少し、自分のできることを精一杯やってみようと思います。
「あの日」っていうのは、何も単独公演に限ったことじゃない。五大演舞をはじめ、下駄っぱーずにいることでたくさんの景色と感情を味わってきました。憧れ、衝撃、感動、悔しさ。その時々の自分が、今を過ごす自分を見て、引退するその瞬間の自分を見て、恥ずかしくない自分になりたかった。あの日下駄っぱーずを選んで、あの感情を味わって、あの日があったからこそ今があると、あの日の選択は全て間違っていなかったんだと、胸を張れるような存在になっていたかった。それを証明できるのは、他でもないステージの上だけ。そして、僕らに残されているのは、「引退」を掲げた早稲田祭の舞台だけ。下駄で過ごした全ての瞬間の自分を肯定できるような舞台を、僕は24下駄っぱーずの全員で迎えたいと思っています。
②取り敢えずやってみよう
実は僕、入会してから17期が出ることができる演舞に全て出演してきました(もちろん、1年の時の選抜だったりごく少数の出演者の抽選に落ちたりとやむを得ないものは出られてませんけど)。ちなみに地方OCは、「神奈川生まれ/実家通い/指定校推薦/成績めっちゃ悪い」の僕なので、出れるわけがなく落ちました。そりゃそうだ。矢島がプッシュしてくれたけど強みがなさすぎて即却下だったらしい。そりゃそうだ。
それはともかく、五大演舞はもちろん、どんなに小さな渉外演舞もひとつ残らず出演しています。多分これ、近年の下駄民の中でも珍しいじゃないかな。結構密かな自慢だったりします。
ここで言いたいのは、多少めんどくさくても、せっかくなら演舞に出てみて欲しいな、ということ。みなさん、よく考えてみてください。たくさんの人の前で派手な衣装を着て踊ることができるなんて、大学生の内、下駄民でなければできない経験じゃないですか。そして、下駄民でいられる時間は本当に限られています。なら、多少時間を使っても、多少お金を払っても、少しでも迷いがあるなら出演してみて欲しいというのが本音。
時間なんて、引退したらいくらでもできます。お金なんて、バイトを頑張れば貯めることができます。けど、下駄民としてみんなと一緒に演舞に出ることは、本当に今しかできない。渉外演舞も、そのたった一回しかない。そんな貴重な経験をしないのは、とっても勿体無いと思ってしまいます。
今まで出演した中で、行く前はちょっとめんどくさいな、と感じていたとしても、終わってみると楽しかったな、に変わっていることがほとんどでした。出演を後悔したことは一度もありません。
そして、これは担当や振り師、お仕事なども同じこと。引退してからは、余程のことがない限り「振りを作る」なんていう経験は一生ないんじゃないかな。だから、少しでも興味があるなら、少しでも迷っているなら、勇気を出して挑戦してみて欲しい。下駄民はみんなやさしいから、挑戦する人を応援してくれます。その上で挫折することがあっても、下駄民はみんなやさしいから、いつでも相談に乗ってくれます。だって、下駄民はみんな、同じ状況からスタートしてるんだもん。大学からダンスを始めれば振りを作るなんて初めてに決まってるし、ましてや担当なんて誰もが初めての経験です。
だから、まだまだ下駄民としていられるみんなは、今のうちしかできないことを全力でやってみて欲しい。その経験はたとえ小さくても、いつか必ずかけがえのない思い出になるはずです。
③特大の感謝
この2年半、絶対に1人ではやってこられませんでした。最後に、下駄っぱーずを去る者の遺言として、お世話になったみんなに感謝の言葉を残しておきたいと思います。
〜To 15期〜
僕の下駄っぱーずでの生活は、15期と過ごした22がなければ語れません。1年生として入ってきてから、たくさんの景色を見させてもらいました。入って間もないのにたくさんかまってくれて、だけど本番になるとしっかり背中で語ってくれる。本当にかっこよかった。ずっと22に憧れて、22を軸に頑張ってきたからこそ、24で17期が頑張っている姿を見てほしかった。今こうして成長できたのは、間違いなく15期が3回生として背中を見せてくれたからです。
15期男の先輩たちへ。お前ら6人なら絶対に俺たちよりもすごくなれるよって言ってくれた言葉を胸に、時に勇気づけられながらやってきました。僕らは、少しでも近づけたでしょうか。
〜To 16期〜
本当に、本当に16期が大好きだった。僕は高校まではあまり他学年とは交流を持ちたがらなかったんだけど、それを取っ払うくらい、16期とは仲良くなれた気がする。ぱっと見ドライだけど実際は下駄のこと好きなんだろうなっていうところも、16期らしくて愛おしかったなぁ。
去年16期が引退した次の日、いなくなったのを実感して学館で泣いた。ギャンギャン泣いた。24としての初練習にしなしなのテンションで行ったら、「俺たちがそんなんじゃダメだろ」って矢島に喝入れられた。このとき、初めて代表としての矢島を見て惚れ直した。ありがとう矢島。そのくらい、下駄で16期と過ごした時間は思い出深いものだったんだなぁと思い出しました。
〜To 19期〜
もっとたくさん話したかった。もっとたくさん遊びたかった。僕は完全に先輩っ子だから、2個下の後輩なんて上手く接することができるかわかんなかったんだけど、そんな心配は無用だったみたい。みんな人懐っこくて、健気で、可愛くて、けどしっかり踊りには向き合ってて。
ハマフェスの通しで初めてみんなのtivoを見た時、まずい、って思った。上手すぎる、すぐに追い越されるって。みんなはこれから2年間たっぷり時間が残されているわけだけど、まだ1年生だと余裕ぶっこいてるとすぐに引退の時期が来ます。僕もデビューしたと思ったらもう3年の新潟が終わってました。あ、適当に過ごしてたわけじゃないよ。
なんか19期のみんなには17期に似たものを感じます。早くから仲のいい感じとか、練習してる雰囲気とか。だけどみんなはおそらく、17期よりももっと大きな存在になっていくんじゃないかなぁと思います。というか、なっていって欲しい。そのときは、24のこともたまには思い出してくれたら嬉しいな。
〜To 18期〜
本当に頼もしくなりましたね。入った時はあんなに幼かったのに。やれ担当だのやれ振り師だのといった仕事を18期のみんながこなしているのを見ると、ああ、僕らが引退した後もこうやって続いていくのかと、とっても心強い気持ちになります。
よくみんなは引退してほしくないとか(お世辞だったらめっちゃ恥ずい)、25が不安だとか言ってくれるけど、少ししたら僕らのことなんてすぐに忘れてしまうんだろうなぁ。というか、すぐに忘れて然るべきです。君たちなら絶対に上手くやっていけるし、みんなの力で25を軌道に乗せて行ってくれると思ってます。
1年半を通して続けてきた変な絡みに、きもいだのだるいだのいいながら結局付き合ってくれて、実はとっても嬉しかった。みんなと話すのが減ってしまうのはすごく寂しいけれど、キャンパスとか授業とかで会ったらまた付き合って欲しいな。あ、授業はたくさん残ってるから会う機会はまだまだあるかも!
〜To 17期〜
やっぱり同期というのはかけがえのないものだと、この一言に尽きます。あまり口には出してないんだけど、僕は17期が大好き。今まで属してきたコミュニティの中で、ここまで自分の素を出せるコミュニティはありませんでした。24単独で回生ナンバーの練習をした時、実家のような安心感を覚えた自分に驚いたんだよね。なんだかわからないけど居心地が良くて、何も考える必要がなくて、なんだかわからないけど笑いが絶えない。同期っていいなって、改めて思った。
最後の新潟で、1年の時に回生で踊った湊を踊ったとき、2年の時を経た自分たちの成長だったり軌跡だったりを思い出して、普通に感極まっちゃいました。
引退を前に回生の練習をしてるんだけど、この顔ぶれとこうして集まるのも残り僅かなのかと、ふとした瞬間に寂しくなります。
たくさん遊んだのも、自主練部屋で切磋琢磨したのも、声張り上げて正規練したのも、セブン前で延々とダラダラしてたのも、全部全部大切な思い出。こんなにも素敵な同期と出会えて、僕は幸せものです。みんなのおかげで、この先何年経っても「楽しい大学生活だったなぁ」と思い返すんだろうなと思います。
〜To 3男〜
まあやはり欠かせませんね。一言で言うなら、戦友が1番ふさわしいんじゃないかな。今でこそたくさん男が増えたけど、18期が入ってくるまでは女性社会にこっそりといさせてもらったことが懐かしい。2年半でたくさんぶつかりあったり、上手くいかないこともあったりしたけど、それら全部があったからこそ今こうして一つになって最後のステージに向き合えてる気がします。
こいつが俺たちの代表なんだと誇って送り出せる代表で、ずっと俺と同じ志を持ち続けながら24を引っ張ってくれた矢島。
チャラチャラしてるけど本番しっかり決めてきて、笑ってる奥に真剣な目を持ってて意外と涙もろいはるき。
17期として居続けることを決めて、時々ガチのOBムーブを挟みながらも一緒に最後まで走り続けたロックおじさん翔也。
踊ることにしっかり自分のプライドを持ってて、振り制をめちゃめちゃやり切ったえーんえーんって小学生みたいな泣き方するはじめ。
1年の新歓期からずっと一緒に帰って、切磋琢磨したライバル且つ俺の1番の理解者、お前がいなかったらやって来れなかった藤川。
未だに3男の名前覚えてくれてるらしいアリオ。
この6人(当初7人)だったからこそ、2年半六人七脚でやってこられた。誰1人キャラ被りしてなくて、それぞれがしっかり各々の役割を果たして、下駄を支えられて。俺は、そんな同期の男が誇らしい。俺が密かに心に決めていた目標、15期を超える伝説の3男に6人全員でなること。今なら、達成できたと言ってもいいんじゃないかな。お前らと一緒に引退できて幸せだ、最後まで頑張ろうな。
ここまで長々と喋ってきたけど、本当に言いたいのは結局下駄っぱーずが大好きだってこと。本当はこのままずっと一緒に踊っていたい。このままずっとだらだらと過ごしていたい。だけど、そういう訳にはいかないから、残り少ない下駄民としての生活を噛み締めながら、悔いのないように早稲田祭を迎えたいと思います。
出会ってくれた全ての人へ。
本当にありがとうございました。
ささお@「砂利ボーイのはとこ」とはこれでお別れ