寒くないのか問題
真冬に素足でサンダルや下駄、雪駄を履いていようものなら、よく聞かれるのが「寒くないのか?」ということ。本当は寒いのに我慢しているのではないかと疑いの目を向けられることもしばしば!?
そう言われても「本当に寒くはないんです!」としか答えようがないのだが、それでは納得してもらえないので、今回は敢えてその理由を考えてみたい。
理由その1 )徐々に慣れるから
当然といえば当然だが季節は徐々に進んでいく。夏から秋を通り越していきなり冬になることはない。秋にしても残暑まっ盛りの9月から紅葉が美しい晩秋の11月まで徐々に季節は進む。
一般人の場合、残暑の9月はともかく10月にもなれば、体感的にはまだ裸足サンダルOKでも季節感を考えて靴を履く人が大半になる。
一方、筆者のような年中裸足サンダル族は、秋が深まる中でも季節感を無視して裸足サンダルで出歩いているうちに、気づくと冬になり、寒いと感じる間もなく、いつの間にか冬を越して春になっているという感覚だ。
理由その2)靴や靴下を履くよりマシだから
年中裸足サンダル族も常に足が寒くないかというと、そうではないのかもしれない。ただ、共通点として靴や靴下が嫌いなことは確かだろう。多少寒くても、靴や靴下を履く不快感に比べたらマシなので年中裸足サンダルで過ごしていると言うこともできる。
理由その3)手と足は実は変わらないから
一番言いたかったのはこれ。現代人は入浴時などを除いて通常衣服を着用して生活しているが、顔と手だけは衣服に覆われることなく露出していることが多い。手については手袋があるが、冬でも着用しない人は少なくない。つまり、冬でも露出していることが多い顔と手は耐寒性が高いといえる。
一方、人間の遠い祖先が四足歩行していたころ、手と足は機能や構造が似たようなものだったはず。二足歩行へと進化を遂げ、手と足が機能分化した後も耐寒性にそう違いはない気がする。
実際、映画ドラマの時代劇や戦前のシーンには、冬でも素足に下駄や雪駄、草履履きの人が当たり前のように描かれている。足袋や靴下が今より高価だったという事情はあったかもしれないが、昔の日本人が冬場に素足で過ごすことは、現代の日本人が冬場に手袋なしで過ごすのと同じくらいの至って普通の感覚だったのではないだろうか。
ところで手と足の耐寒性は変わらないと書いたが、経験的にはむしろ手よりも足の方が耐寒性が高いと感じる。下の写真は日中の最高気温が一桁台前半という寒波に覆われた最中に外出した際のもの。手袋は年に数えるほどしか着用しない筆者もこの日はたまらず手袋を着用したが、足元はさほど寒さを感じなかった。歩くことで足は常に刺激を受けて血行が促進されるのに対して、そうでない手の方が冷えやすい気がする。
もしも極寒の中、裸足サンダルで手袋もしていない状況にあったとして、靴下・靴か手袋かどちらか一つ選べるなら…たいていの人は靴下・靴を選ぶだろうが、自分なら迷わず手袋を選ぶと思う。
さて、随分長々と持論を展開したが、言いたかったことは、冬でも裸足サンダルで過ごすことは特殊な能力ではないということ。
詳しくは別の機会に譲るが、年中裸足サンダル生活は良いことづくめだと思っている。読者の方の中で、自分もできそうだ、やってみようという同士が出てきてくれることを願って締めくくりとしたい。
おまけ)秋の裸足サンダルコーデ
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