司馬遼太郎の罪
渡辺京二さんの本を読んでいると、思考の深さ、表現のするどさに、驚くことが本当に多い
司馬の明治初年の日本は、とるにたらぬ小国で人材は、300年間の読書階級の旧士族しかいなかったという、なんら根拠の無い、荒唐無稽な日本認識、与太話だと渡辺さんは、喝破してくれる
スッキリする、江戸時代、金銀銅の産地で銀も銅も世界を席巻していた
磁器、絹織物、漁業も発達して、国内もそれぞれ統治がされていた
要するに、司馬は、張扇を持った講釈師で与太話を調子よくはりあげているだけなのだと教えてくれる
戦争に負けた昭和世代と比べて、清国、ロシアに勝った明治世代は、昭和世代のようなバカな戦争は、しなかった、ゼロから積み上げて、冷静、合理的に積み上げて行って、坂の上に達したとの講釈を垂れたかったのだ
この日本は、いつからおかしくなったのか、明治は、あんなに立派だっのに、果たして昭和は、どうしようも無く愚かだったのか
この戦争に負けたと云う、傷をどう消化して良いのかわからない、ただ、司馬のような、昔の明治の日本は、偉かったとしてしまうと、大きく歴史的にも全く的外れな自己認識に陥ってしまって、どうにも再出発出来ないのだろう
それが、アノミーをもたらしてしまっているのだろう
わたしたちは、どこに立脚すれば良いのだろうか