田辺祥二著 禅問答入門
預流果・よるかの境地を目指して、瞑想する
スマナサーラ長老のお話しを何度もなんども聴いていると、預流果への道を懇切丁寧に教えてくれている
ひたすら無を求めて坐禅するだけで無く、黄檗宗、臨済宗では、問答もこの預流果への道のために使われてるようだ
この本を読んでいて、落語の蒟蒻問答を思い出してしまった
真面目くさって禅問答している場面がなんの事は無い、コンニャク屋の身振り手振りだっりする落語だ、からかわれている
スマナサーラ長老の説法の中でも、この禅問答が取り上げられたことがあったが、長老にとっては、なんのことは無い、スラスラとけるようで、その説法・解説を聴くと誠にわかりやすい
貪瞋痴をなくす、そぎ落とすこと、そのなかから智慧が出てくるらしい
その智慧を持ってすれば、禅問答は、いとも簡単にとけるようである
不立文字の意味からして、こんな分厚い本になることが、わざわざ預流果への道を閉ざしているようなものなのだろうけれど
こんな矛盾に気づいてしまった
本にすることそのものが、どうしようも無い貪瞋痴のようだ