盲目系女子高生【哲学的小説】
「わかりません」
指導室に木霊する凛と木霊し……もののけ姫を思い出しt……違う今は其の思考は廃棄しよう。
指導室に響き渡る轟音。夥しく憎悪と穢れに満ちた祟りが神が、自ら歩みを進めた道の生命を奪い、荒廃させながらm……
鈴の音のような静かで確かな響きのある声。
分からぬからといって臆する事なくその凛とした対応に、思わず固唾を呑んでしまう私。
それでも尚、俺は指導せねばならぬのだ。何故なら俺は……。
指導教師だからだ。
どや顔のエコーに切り変えるならきっとこのタイミングなのだろうな。
そんな世界の理を頭の端に追いやりつつ。
「ならば、こうならわかるか?」
「いえ、わかりません」
なるほど、手ごわい。
そう思えるだけの根拠が俺にはあった。しかし彼女の目は真摯にこちらを見つめその心情をアピールしてくる。
…まぶしい。それは青春のようだ。
すると女子高生はこちらに向き直り双眼をこちらへ睨む様に見上げるのだ。
「お前のこの熱意を受け取る覚悟はあるのか。」
そう言われているような気がした。
しかし、こちらも臆するわけにはいかないのだ。
「じゃあこれは」
「わかりません」
「これは」
「全く、わかりません」
「これならどうだ」
「分かる気がしません」
そこまで言うと女子高生はこちらを見据えこういった。
「分からせようとしていますか?……むしろ分かった方がいいですか? 分からない事はダメなのでしょうか?」
「ふむ」
「人は何時だって、分からない事だらけの中で生きています。友人 家族 仕事 社会 未来 過去……友達」
「二回言ったぞ」
女子高生はこちらの指摘に意も返さず虚空を見つめ言語の精神攻撃を繰り出す。
「分からない事だらけの中で、分からない事を見つめながら、分からない事が分かりながら生きているんだと私は思います。それは悪い事なのでしょうか」
ストレート、ジャブジャブ、ストレート。素晴らしいコンビネーションだ。
俺は教職員だ。つまり社会を知らない。だから知らない事の方が実は多い。
そこで言いたい。
クソガキ勝手に悟って勝手に語るんじゃねぇ……と。
こちらへ問いかけるような目を向ける少女。俺は其の目を見て……今すぐ帰りたくなった。
だが、男教師、御年35歳は奮い立たなければならないのだ。
あと数十年もすれば二度と起き上がる事のない息子を抱える男として、
その息子にせめて誇りをもって限りある時間を立ち上がってもらわねばならない。
「それは違う。悪い事ではないんだ。むしろ良い事であると肯定しよう。人と人とは確かに分かり合えないかもしれない。だがな、分からない事だらけなのだから仕方が無い。心の内は読めず不安になるかもしれない。それは相手が恋人であっても、本当に相手が自分を愛しているのかを証明する事は出来ない。たとえ親であっても、本当に自分を愛してくれているのか。それを証明することは出来ないだろう」
「……それならっ!」
そこまで言った少女を遮るように、
俺はガン!と机を叩く。
其の音に少女は肩を縮こまらせてしまう。
申し訳ない。俺の不甲斐なさの性だ。だがそれでも伝えたいことがある。
分からない事ばかりの世の中で、伝わるかも分からない言葉を日々伝え合う我々人間は言葉を交わす努力を諦めてはならないのだ。
「だがな」
俺は穏やかに諭すように笑いかける。不安になっても良いではないか。
それが生徒だ。
それが未成年だ。
……それが…女子高生だ。
「不安になる事こそが君の年代だ。未成熟年齢の君らはいかに【不安になるか】が重要なんだ。
隣の席の奴が信用できないか?
女友達はそんなにうわべのように見えるか?
男友達は全員下心があるんじゃないかと思えて仕方が無いか?
それは仕方が無い……いやむしろ、それは正しい事なんだ。誰を疑い。それをどうやって信用するか。
……いやこの表現は正しくは無いな。信用するという自信と勇気を君という大きな器にどう注ぎ込むか。これこそが教育なのだ。
学校の知識はあくまでも一人生きる能力を与えるに過ぎない。
しかし社会は違うのだよ。人と人との関係が嫌というほど関わってくる。
そしてそれらの中から成功する人間は、天才以外は等しく人と協力し強力な力を得るんだ。協力と強力。読みが一緒なのはつまりそういうことなんだよ。
ありありと我々は可能性の容器に【考え】を注ぎ込まねばならないのだ。」
そこまで一息に吐き出した俺は、恐らく息切れと動悸を起こしていただろう。
だがそれでも直伝えるべくことを伝えるのに多少の動悸がなんだというのだ。
それでも尚彼女の表情は晴れない。
いや、それすらも分かった上での悩みなのかもしれない。
「……私は盲目なのです」
さびしそうに少女は呟く。
「盲目? 悪い事ではない。盲目と言えど様々だ。
一つの事への執着心を盲目ともいう。
周りが見えていないことも傍目から見れば盲目というだろう。
主観でそう捉えるか、他人にそう捉えられるか表裏が良い事と悪い事ではないか!
考えてみたまえ。捉え方一つで一つの事象が好転的に捉える事が適うのだ。ラピュタを見たまえ殺す事も出来れば自らを沈める事で争いを消す事も出来る。人とはそういうものだ。
完全でありたいと願うのはそれは不完全であるという事なんだ。不完全だからこそ、完全よりも完全を求め。
…そして何時しか完全をも超越する事ができると私は信じている。
……もちろん私では無理だ。だが君なら?
若い感性を持ち、将来という言葉がお似合いの君たちなら!
君ならどうだ?
可能性はあるんだ。分からぬ事を分からぬままにする事が良くない?
それは断じて違う。
真に悪なのは知らないことすら知らない。分からぬ事すら分からない。
これなんだよ。分からぬ事が分かれば分かる可能性はあるんだ。
太陽を見て日本帝国を思い出す人間もいれば、
太陽を見て神を思い出す人間もいる。
分からない事を知っていれば、何かの拍子に分かるかもしれないんだ。
君は気づいた。気づいたんだ!ならば君は恐れる事は無い。前へ進みたまえ。……少なくとも君は自分で自分が盲目であると気づけた側の人間なのだから」
そこまで言った時少女の目からはほろりと一粒の液体がこぼれだした。
俺は少女へ差し出す。この時間を終わらせる為に。
そして少女は口を開く。迷いを断ち切るために。
「そうか、分からないなら分からないなりに生きていけばいいのか……」
そして彼女は真っすぐに愚直に前を見据える。
そして静かに。確信しながらつぶやくのだ。
「右」
その後彼女はめがねを買った。
人は誰しも欠点を持っている。彼女は視力で、私は髪だ。
山頂から見る日の出を見て何を思い出した?
私は、日の出と共に吹き抜けた風と共に髪を思い出した。
あれは若かりし頃の16歳。あの時から俺の髪は主人より先に天へ滅してしまったのだ。
ちくしょう
そう嘆く。だがしかしだ。こうして若い世代を一人でも救えた事は、大いに胸を晴れる気分だった。
さて、私は何をしていたのだろうか。