【人生最期の食事を求めて】福岡の夜を飾る定番屋台バーの穏やかなひととき。
2024年10月5日(土)
屋台バーえびちゃん(福岡県福岡市中央区)
小倉を発ち、博多へと足を踏み入れたのは、15時を回った頃であった。
地下鉄に乗り込み、天神方面へ向かう。
幾度訪れてもこの街が放つ活気と人々の脈打つ生命の息吹は、私を否応なく捉え、心を魅了してやまなかった。
新たに屹立し始めた巨大なビル群の姿も、この都市が持つ不屈の活況を象徴しているかのようだ。
それこそが“天神ビッグバン”であり、古臭い規制を取り払い企業と企業が手を取り合い未知の未来を切り拓こうとする、まさに野望の具現化である。
かつての屋台群もまた新たな姿へと生まれ変わりつつある。
戦後の混乱期に生まれた屋台文化は、占有問題や利権の不当な取引、さらには汚水の問題まで数々の問題を孕んでいた。
それらに行政のメスが入り整備が進められ、今や“屋台DX”なるデジタル施策が導入され、ガバナンスの名の下に清潔さを強調した新たなイメージが定着しつつある。
その効果は天神エリアにおいても顕著に見て取れる。
整然と並ぶ屋台、その一角に外国人が経営する屋台には、まるでバスを待つかのように群衆が列を成し、その景色はこの行政の施策が見事に功を奏している証左と言えよう。
この光景に触れ、私はふと屋台の誘惑に駆られた。
程よく涼しい秋の夜、その空気が私の背中を押したのである。
もちろん私と同様に思っている者は他にも多く、どの屋台も開店と同時に満席となっている様子が歩く私の目にも容易に映った。
やがて私の足は自然と19時に開店する馴染みの屋台バーへ向かっていた。
到着したのは当然の如く一番乗りであった。
店が開くと同時に前回同様、片隅の席に腰を下ろし、ハートランド(660円)を注文した。
澄み渡るビールの喉越しは、秋の夜風のごとく私の内を清らかに流れ去っていく。
ふと目の前に掲げられた牛テールスープのおでんのメニューに目が奪われた。「厚あげ」(120円)、「たまご」(120円)、「だいこん」(120円)、「ぎょうざ天」(250円)、「ちくわもち」(250円)を選ぶ間にも新たな客が次々と現れ、席はたちまち埋め尽くされていく。
ほどなくして、からしと柚子胡椒を添えたおでんの皿が運ばれ、まずは大根に箸を付け、その後厚あげへと進んだ。
おでんの本質は崩れることなく、素材の味を引き立てる牛テールの出汁が洋風の雰囲気を感じさせながらも、新たな味わいを放っているように思えた。
たまごもまたその風味を裏付けていた。
私は妙に揺るぎない確信に満たされながら、ちくわもちに手を伸ばした。
それを噛みしめると、餅の代わりに中に隠されていたのはトッポギだった。
意外な歯応えに驚きつつもちくわとの相性は頗る良かった。
そして、ぎょうざ天はおでんの進化系とも言うべき存在で、異文化が見事に融合し新たな味覚の領域を切り開いている。
気づけばハートランドは飲み干されていた。
ここで「ギネスビール」(990円)を頼まないわけにはいかない。
それとともに忘れてはならないのが「牛すじのトマト煮」(990円)である。
客が去っていくとすぐに新たな四人の客が席を埋めた。
今夜はどうやら客の回転が早いらしい。
牛すじの濃厚な旨味が凝縮されたトマト煮に舌鼓を打つと、ギネスもまた露の如く消え去った。
ハイボールを追加で頼み、時折屋台の垣根越しに頭を反らし、夜空を仰いだ。
昭和通りがすぐ脇を走り、そこを行き交う車の轟音が絶え間なく聞こえてくる。
雲が覆い月も星も見えない夜空ではあったが、私はハイボールを飲み干しながら、再び仰ぎ見ることを止めなかった。……