【人生最期の食事を求めて】東京で食する新潟生姜醤油ラーメンの深み。
2023年9月10日(日)
青島食堂秋葉原店(東京都千代田区神田佐久間町)
いささか閑散とした山手線に乗車し、秋葉原駅に降り立った。
時刻は9時を過ぎていたが、街はまだ動き始めたばかりの緩慢な空気を発していた。
秋葉原を訪れたのは何年ぶりだろう?
記憶が定かでないほどこの街は縁遠い。
目的のラーメン店「青島食堂」の営業開始にはまだ早すぎる時刻だった。
秋葉原駅を東に抜けても、雑居ビルやマンションが窮屈そうに屹立するエリアがずっと続く。
建物の狭間から溢れ出る朝日はすでに容赦ない暑さを孕んでいて、それは昼の頂上ともなれば危険な熱波で巨大な都市全体を包みこむことは容易に想像できた。
まだまだ残暑の厳しさを押しつけてくる東京と言えでも、日曜日の朝はいささか心地よい。
自動車の往来の激しい道路を次々と抜け、神田川を望む橋でしばらく佇み、遠い昔に住んでいた街を思い返した。
東京を横断する神田川というこの長く細やかで穏やかな川も、西と東では趣きや風情が異なる。
隅田川と交錯するこのエリアでは、幾隻もの屋形船が緩やかに揺れて浮かんでいた。
背中越しに太陽の強烈な放射を受け、まだ早い時間だが私はその熱から逃れるように店に向かうことにした。
青い看板と黒い文字が日陰のエリアの中で燻るように見えた。
なぜ青い看板なのだろう?
飲食や食品におけるデザインにおいて、食欲減退色である青色をモチーフにするというのは、あまりに冒険心が強いのか?
それとも、色彩心理学への果敢な挑戦なのか?
時刻は10時を越えようとしていたが、すでに20人程の客が行列を成している。
行列とは不快なものだが、この店の評判を聞きこの地まで訪れてしまうと逃れられまい。
その多くは日本人で誰もが寡黙だが、中には金髪と頬を覆うヨーロッパ系と思われる寡黙な男性客、さらには4人の韓国人客がその場の空気に臆することなく賑やかに会話している。
行列は長くなればなるほど蛇行することがルールらしい。
気がつけば50人以上が私の背後に追随していた。
周辺のビルとマンションの頭上から太陽が指し始めた頃、店のドアが開いた。
先頭の客が店内に吸い込まれるように入っていく。
それは数分間隔で定期的に吸い込まれ、思いのほか入口付近まで辿り着くことができた。
店内を覗き込むと、券売機とその傍らにも待合用の椅子が見え隠れしていた。
再び定期的な吸引によって店内に入り、券売機と向き合った。
新潟生姜醤油ラーメンは初挑戦ということもあるが、およそ1時間にも及ぶ行列への追随のせいか「青島チャーシュー大盛り」(950円)のボタンを押し待機することにした。
言うまでもないが、日本3大ラーメンといえば北海道札幌の濃厚味噌、福島県喜多方のあっさり醤油、そして福岡県博多のコク深い豚骨である。その他にも青森県の味噌カレー牛乳、栃木県佐野の青竹打ち、富山県のブラックなど枚挙に暇がない。
新潟生姜醤油と聞けば、きっと豪雪の街で体の芯から温まるために生姜を使用したのだろうと推測される。
しかし、9月の東京で猛烈な残暑の中で生姜醤油はいかがなものだろう、とここまで来て自分に問うてしまうのだった。
それにしても店内も寡黙だ。
スタッフは3人しかいないというのに、どこか慎み深いながらも無駄のない動きに見えた。
さらに言えば、ラーメン屋らしい威勢はなく、厨房もどことなく良くあるラーメン屋の体裁ではない。
ようやくL型のカウンター席の空隙を埋めるように座った。
眼前はガラス扉で塞がれていて、厨房内を撮影することは禁止だという。
客のひとりがスマートフォンを握り、厨房側にある何かを撮ろうしていると、
「厨房は撮影しないでください」と警戒心の強そうな男性スタッフが注意を促した。
すると、着席して3分もしないうちに眼前のガラス扉が開き丼が置かれた。
その外貌は至極単純である種ありきたりなそれに見えるのだが、茶褐色の透徹としたスープから生姜と醤油のバランスの取れた薫りが否応もなく鼻孔をくすぐる。
中細の麺をスープから持ち上げると、その薫りは勢いを増して押し寄せて食欲に任せて啜るほかなかった。
なんという優しさだろう。
生姜にも癖はなく、麺を啜る度毎に何か心地よい布にでも包まれているような感情にいざなわれてゆくのだ。
チャーシューに箸を伸ばした。
肉そのものにも独自の味付けをしているようでまったく臭みはなく、あわよくばチャーシュー単体とライスでも完結できる仕上がりである。
海苔、ナルト、ほうれん草、さらにメンマと食べ進んでも不思議なほど生姜の心地よい包容感は続いてゆく。
スープを飲み干すと、これまでの異なる感覚が押し寄せてくるのがわかった。
鼻水だった。
夥しい鼻水の放出だった。
生姜によって刺激された体内が温まったせいだろう。
道理で食べ終わった客が一様に店の奥に置かれたティッシュペーパーの存在理由が明白となった。
店の外は、入店前の光景を再現したかのように長蛇の行列だった。
完食したにも関わらず、私の内部で何か不可思議な欲動が蠢いていた。
それはまったくと言っていいほど膨満感がない、ということだった。
酒を飲んだ締めに最高の相性であるに違いない、と私は心の奥底から湧き上がる確信に思わず足を止めてしまった。
が、この店は酒の締めで訪れることを許してはくれまい。
店内のあのそこはかとない緊張感を思い出しながら、私は次の案件に対峙すべく再び秋葉原駅に向かったのだった……