【人生最期の食事を求めて】静岡名物のおでんと餃子に浸る蒸し暑い午後。
2024年7月13日(土)
海ぼうず本店(静岡県静岡市駿河区)
風に流されるようにどこかへ行きたい。
そんな想いで航空会社のウェブサイトを呆然と眺めていると、富士山静岡空港行きにかろうじて空席を見出した。
その2日後、私は富士山静岡空港に舞い降りた。
静岡駅に到着したのは14時過ぎだった。
あまりに空腹に苛まれたものの、生憎というべきか幸いというべきか昼食を食べるには遅すぎる時間になっていた。
気も萎えるような空腹でも慣れない街を歩くのは、どこか新鮮な刺激をもたらす。
振り返れば静岡は30年ぶりだろうか?
しかも、その際の記憶はほとんどなく、訪れたというよりも通り過ぎたといった程度のそれしか蘇らない。
さりとて、今回も突発的な飛来ゆえにこれといった予定を組んでいない。
鬱屈した湿度の籠る街を汗を拭いながら歩いていると、突如として飲食店が点在し始めた。
そこに赤提灯が浮かんでいた。
おでんという主張は、確かに静岡の代表格ではあるがこの暑さには不似合いなような気がした。
16時にはまだなっていなかったが、店はすでに開店していた。
やむに止まれぬ空腹は私をこの店へと引き寄せた。
店に入ろうとすると、入口横に佇むタコを模したかのような赤いロボットが人感センサーに反応して私を歓迎した。
「いらっしゃいませ!」
さらにスタッフたちの溌剌とした声音が一斉に店内を包む。
カウンター席に座り、タブレットですぐさま生ビールを注文すると、
「一緒に乾杯しましょう!」
と気さくそうな男性スタッフがビールジョッキを持ちながら話しかけてきた。
よく見るとそのビールジョッキは精巧なモックアップであり、客をもてなすための儀礼だった。
その儀礼が終わるや否や、また別の元気な男性スタッフが無数の小鉢を載せた大きなトレイを持って現れた。
それはお通しであった。
4〜5種類の小鉢から好みのものを選べるという。
私は野沢菜のお浸しを選び、再び勢いよくビールを飲み干した。
静岡の蒸し暑い午後はビールを再び促す。
そして、メニューを模索するとタブレットには多種多彩なそれが網羅されている。
やはり名物の静岡おでんは避けては通れないのだが、定番おでんと進化おでんというタブに分かれていた。
初の入店での進化おでんは避け、「バカうま優勝セット」(740円)という4種のおでんセット、「静岡野菜の漬物」(480円)、さらに現代のジェンダー論に異を唱えそうなネーミングの「生姜マシマシ!超女餃子」(480円)をタップした。
すぐさま静岡野菜の漬物が訪れた。
大根やカブの酢漬け、野沢菜や鰹節の盛られた白菜の漬物というライナップは、その口当たりはそれほど濃くはなく、むしろ程よく優しい塩気がビールを求めた。
次に辣油と酢、そして焼き立ての餃子がテーブルに置かれた。
最初の1個は何も漬けずに食してみた。
薄めの皮からほんの束の間、仄かに生姜の香りが溢れ出たかと思うと、さほど肉汁のない餡がほころぶように口の中に広がった。
生姜以外はある意味で癖はなく、酢を漬けてもそれはスタンダートと言うべき餃子と言えようか?
それゆえに易々と消えてゆく。
カウンターの目の前で、男性スタッフがじっくりと何かを煮込んでいることが少しばかり気になった。
その部位はどこかグロテスクな様相を呈していて興味を惹かれた。
思わず私は尋ねた。
「それ、何ですか?」
気難しそうな男性スタッフは、私を見るとすぐさま顔を綻ばせ、
「スッポンなんですよ。どう調理しようかなって……」
と言うとその部位を持ち上げて私に惜しみなく披露した。
「おう!」
私は、そのグロテスクながらも油を塗った光彩を放つかのような部位に目を奪われていると、バカうま優勝セットのおでんが運ばれてきた。
静岡おでんの特性のひとつである黒いスープは皿の奥底には確認できず、串に刺さったままのおでんからは強い湯気を発していなかった。
これが静岡おでんというものなのか?
想定とは異なる実像に小さな疑念を抱きながらも、私はスッポンの調理する男性スタッフからその背後にある小さなポスターに視線を移した。
【静岡おでん五ヶ条】
一 黒いスープ
二 串に指してある
三 黒はんぺんが入っている
四 青のり、だし粉をかける
五 駄菓子屋にもある
目の前のだし粉を満遍なくふりかけ、まずは厚揚げから食べ始めた。
そこにおでんらしい熱はない。
たまごを割ってもそれは同様であった。
それはこの街の梅雨がもたらす蒸し暑さへの配慮なのだろうか?
が、冬ならばきっと熱の欠如を感じられずにはいられないだろう。
それにも増してだし粉をかけたつもりなのに、だし粉の風味すら感じられない。
もち巾着も小粒な牛すじも同様に熱を感じなかった。
味のバランスや食べやすさという意味では苦もなく食べ進むことができたのだが、汗が迸るほどの熱量と静岡らしい褐色のスープを味わうことができなかったことは、どこか気がかりだった。
時刻はまだ17時前だった。
まだ余力を抱える食欲があった。
まだ夕刻というには外は明るい。
蒸し暑い見知らぬ街を、私はひたすら歩き続けるのだった。……
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