【人生最期の食事を求めて】福岡の夜に欠かせない屋台バーのパイオニア。
2024年9月20日(金)
屋台バーえびちゃん(福岡県福岡市中央区)
大名から天神へと歩いた。
もはや歩き慣れ親しんだ道のようにも感じられた。
強烈な蒸し暑さにもかかわらず、天神駅前に点在する屋台には行列や殷賑が絶えず、しかもまた新しい屋台にはバスを待つ人々のような長蛇の列を生み出していて、街全体がどこにもない繁華な雰囲気を発していた。
私の足は中洲方面に向かって、強い意思のような力で歩き進んでいた。
「屋台バーえびちゃん」へと辿る道は、私にとって欠くことができない。
およそ10年以上前に訪れてからというものその魅力に惹き込まれ、福岡に訪れると必ずと言って良いほど顔を出す存在である。
ところが、ここ3回の訪問時ではインバウンドの増加や長居する客の増加のせいかはさておき、いずれにしても大繁盛ゆえに行列ができ、入店できないという由々しき事態が続いている。
そしてこの夜、中洲方向へと続く歩道を歩きながら遥か遠くに、街灯に照らし出された数軒の屋台を認めた。
その最も奥に屋台バーの存在を確認することができた。
直近のパターンとしては、屋台バーと対峙する日本銀行福岡支店の壁に長い行列を見つけては落胆したものだったが、今回はその姿はない。
金曜日の夜という条件ながら、不安定な天候と蒸暑すぎる気温のせいもあるのかもしれない。
しかも、真夏のように壁が取り外されているために客の背中も確認することができた。
幾許かの不安は期待へと裏返り、私の足は無意識に急かされた。
ちょうど席が空いた頃合いのようだった。
そそくさと席に座ると、密やかに私は安堵の心持ちに包まれていった。
その時、マスターと目があった。
マスターは寡黙な会釈を私に投げかけ、私も静かな興奮の中に冷静さを見出しながら、
「ご無沙汰しております」
と穏やかに声を発した。
蒸し暑さと汗ばんだ体がビールを欲していた。
ともあれ、この店に訪れると私の中の定番が頭をもたげた。
ギネスビールとともに「牛すじのトマト煮」(990円)は欠くことのできない逸品である。
ギネスビールの深みのある泡を舐め、グラスの底の漆黒の液体に喉を鳴らした。
この蒸し暑さがむしろ欠かせないと思えるほどの爽快な喉越しに、私は心静かに唸り続けた。
そこへ牛すじのトマト煮が置かれた。
じっくりと煮込まれた牛すじがトマトに抱かれて横たわる。
この逸材を知ってからというもの、ギネスとともに食するのがすっかり定番になってしまったのだ。
薄っすらと焼かれたバケットに牛すじを載せ齧りついた。
トマトのほのかな酸味を発した薫りととろけるような肉がバケットと相俟って、私は思わず目を閉じたまま噛み締め続けた。
多彩な美味が揃う街福岡にあっても、この牛すじのトマト煮は私個人の中でも屈指のものだ。
さらに、「カマンベールチーズのマーマレード焼き」(990円)もそれに匹敵するメニューである。
牛すじのトマト煮を食べながらハイボールに切り替え、カマンベールチーズのマーマレード焼きを待つことにした。
屋台の片隅からは、ヨハン・セバスティアン・バッハの名曲の数々がしめやかに流れ続けていた。
クラッカーに甘く香ばしいカマンベールチーズを載せ、軽やかな咀嚼音をバッハの音色に載せて食した。
屋台バーと酒とバッハ。
なんと素晴らしい夜であろう。
私は再びまるで近所に住んでいるかのようにこの屋台バーに訪れることを誓い、カマンベールチーズを載せたクラッカーを噛み締めながら、バッハの音色に合わせて咀嚼音を調和させるのだった。……
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