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【人生最期の食事を求めて】脈々と続く京都ラーメンの密かな歓び。

2024年11月15日(金)
本家第一旭 烏丸店(京都府京都市中京区)

太秦駅に降り立ったのは、既に午前10時を回った頃であった。

JR太秦駅

京都駅の喧噪と湿潤な群衆から解き放たれた私は、軽快な足取りで広隆寺へと向かった。
この寺は聖徳太子を本尊とし、603年に創建された由緒を誇る。
国宝である弥勒菩薩半跏像が静かに安置されているこの場所には、観光客の姿は内外ともに少なく、時が凍りついたかのような深い静寂が私を迎え入れた。

薄暗い空間に浮かぶこの像と対峙した時、実存主義のドイツ人哲学者カール・ヤスパースが「人間実存の最高の姿」と讃えた理由が明瞭に理解された。
その穏やかな微笑、静謐なる眼差し、そして全体から発せられる無限の安寧。
これらは人間の本質を超えた何か、永劫と普遍に触れる感覚を私に与えて離そうとしなかった。

カール・ヤスパース(1883〜1969)
広隆寺
弥勒菩薩半跏像 ※Wikipediaより引用
仁王像 阿形
仁王像 吽形

広隆寺を後にするのは苦痛に近い惜別の念を伴ったが、妙心寺へ向かうという計画が私を前へと駆り立てた。
妙心寺は臨済宗の大本山であり、その枯山水は禅の精神を顕現させる象徴とも言えた。
私はその庭を凝視しながら、自身の内なる「無」を見出し、「空」を悟る試みにふけった。
禅の教えが示す非情なる美学は、時に人間の最も奥深い孤独と向き合うための刃となる。

妙心寺

妙心寺を後にし、立命館大学衣笠キャンパスを横断して金閣寺へと向かう道すがら、私の胸には小さな迷いが生じていた。
心から愛する龍安寺へ足を運ぶべきか、それとも再読中の三島由紀夫の世界に浸るべきか。
しかし、きぬかけの路を登るうち、私の思索は喧騒の中に溶けていった。

鹿苑寺(金閣寺)

金閣寺に辿り着くと、そこには拝観という行為の神聖さは存在せず、代わりに無数の外国人観光客が、カメラ越しに鏡湖池と鹿苑寺金閣を借景に記念として焼き付ける光景が広がっていた。
多言語が飛び交い多様な人種が賑やかに振る舞う中で、私は侘び寂びという概念がこの人々にとってどれほど隔絶したものかを感じ取った。

金閣寺を後にし、バス停へと向かった私は、再び外国人観光客の群れと遭遇した。
市営バスが次々と到着しても彼らは微動だにしないのだ。
その塊を擦り抜けてバスに飛び乗った。
バスの中は、一般市民と外国人観光客が混然としていた。
とあるバス停に車体が停まると、女性の老人が乗り込んできた。
すると、優先席に座っていたヨーロッパ系外国人が席を女性の老人にすかさず譲った。
「ありがとうございます」
女性の老人は外国人に丁寧にお礼を述べた。
そんな光景をバスの中で2回目撃したことは、私のオーバーツーリズムへの危惧感を幾分和らげた。

バスを降り河原町から烏丸へと歩む中、空腹が私を苛み始めた。
時刻は14時30分を過ぎていた。
その時、静謐な町家の風景の中に、仄白い光を放つ看板と赤いパーティションロープとが私の目を捉えた。
それは名を馳せる老舗ラーメン店の新店舗である。
駅前の本店は、常に激しい混雑と長い行列によって、食への意思は幾度となく断念させられ続けてきた。
しかも私はこれまで控えていたラーメンへの、貪欲というよりもむしろ獰猛な欲求に駆り立てられたのだ。

店内へ足を踏み入れると、若い店員の張りのある声が響いた。
電子マネー対応の券売機にて「ラーメン」と「餃子」を注文し、カウンター席に腰を下ろす。
そういえばライバル店ならヤキメシも必須なのだが、この店にはヤキメシというメニューはないことが餃子を選ばせた。
程なくして丼が運ばれてきた。

本家第一旭 烏丸店
ラーメン

ライバル店ほどの濁りのない澄んだスープが特徴的で、京都らしい直線的なストレート麺がその中に沈んでいた。
ひと口スープを味わうと、豚骨の臭みを抑えた醤油の芳醇な旨味が舌に広がり、その後を追うようにネギの爽やかな歯切れが訪れる。
このネギこそが京都ラーメンを象徴する要であり、それを欠くラーメンは京都の名を語る資格を持たないだろう。
餃子に箸を伸ばすと、その小粒で薄皮の繊細な仕上がりが私の期待を裏切らなかった。
しかし、餃子とラーメンを交互に味わう中で、私はライスの不在を惜しんだ。
そのような些細な物足りなさが、私の満足感を僅かに損なわせたのかもしれない。
あるいは、あまりの空腹か、競合店の味の記憶が私を強く支配していたためであろうか。

いずれにせよ、私は丼を容易く空にした。
そして、店を後にする際の「おおきに!」という挨拶に、京都特有の温もりを感じながら再び静かなる旅路へと足を進めるのだった。……

餃子

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