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【人生最期の食事を求めて】湘南の贅と潮風に身を委ねる午後。

2024年1月24日(水)
とびっちょ本店(神奈川県藤沢市江の島)

民家と民家の間をすり抜けると、午前の日差しを浴びた稲村ヶ崎が開けた。
ひとつひとつの波が遍満と交錯を繰り返す相模湾の荘厳な輝きが車窓に差し迫って来た。

江ノ島電鉄に乗車したのは三十余年振りである。
なのに、車窓に広がる風景は何一つ変わっていない。
変わったと言えば、東西を問わぬ夥しい異邦の人々の姿、そして私の心境であろう。

三十余年も前の記憶。
長閑な電車の動揺に身を任せながら、常識というものに抗い、社会に帰属することを嫌った若さゆえの妄想と暴走を思い返した。
当時すでに時代遅れだったフランス実存主義の旗手ジャン=ポール・サルトルの実存主義に強く傾倒し、放埒な自由を求めたあの頃。
そして、2024年1月にあの頃と現在を照合するかのように江ノ島駅に降り立った。

ジャン=ポール・サルトル(1905〜1980)

雲を被った富士山を横目に潮の気ままな香りが過ぎ去る弁天橋を通り抜け、江の島の階段を思いのままに登った。
なぜだろう?
其処此処に懐かしい街並が続いているというのに、どこか新しい空気を放っているように感じた。

遠く大島の島影を望んでいると空腹が込み上げてきた。
それもそのはずである。
昼時を過ぎようとしているのに、朝から何も食べていないのだから。

とびっちょ本店

階段を下り、異邦の観光客を避けながら緑地広場にすり抜けた。
すると、しらす問屋と描かれた円形の看板が現れた。
店の目の前には季節はずれのパラソルが開き、その下のベンチで待ち客らしい姿が見受けられた。
店の入口ではインカムを付けた若い女性スタッフが立ち、入店を望む客にタブレットによる予約を説明していた。
私も追随してタブレットに予約し、パラソルの下で入店を待つことにした。
1月とはいえ日向で待っていると微睡みを誘うほど居心地が良い。
5分程待っただろうか、番号を呼ばれ店の中に入った。

L型のテーブル席、そして2階にも席があるようだが、意外にも4人掛けのテーブルに案内された。
分厚いメニュー表を見ながらも、入店前こそしらす一択と思い込んではいたものの、知らず知らず獰猛な空腹と多彩なメニューに惹き込まれ、「とびっちょ丼」(2,380円)をご飯大盛(150円)を口走った。
しらすも含まれていることに自らを納得させながら待つことにした。

とびっちょ丼(2,380円+ご飯大盛150円)

「はい、とびっちょ丼です」
と置かれた丼は想像を超えた大きさで、多様な魚と卵焼きが上層を支配していた。
その下部にはご飯を伏せるように大根サラダが散りばめられている。
わさびと生姜を小皿に移行し、何から食べるかを攻めあぐねた。
まずは海老から攻略し、サーモン、トロに箸を伸ばした。
大根サラダとご飯の混濁は刺し身にはない小気味良い歯ごたえをもたらす。
そして煮穴子に挑んだ。
煮穴子を頬張った瞬間に身が砕けると、さりげない甘味と穴子の風味が駆け抜けていく。
いくらと釜揚げしらすは、それとは対照的に締まりのある塩味でご飯を催促する。
玉子焼きでこの丼を締めようと、私は残りのご飯を掻き集め、生のりの味噌汁を飲み干した。

満足した身を休めようと片瀬東浜に腰を降ろした。
波に挑むサーファーを呆然と眺めながら、再び以前と現在の自分自身を照らし合わせた。
放埒な自由を求め社会に属することを拒否したあの頃。
私はどこか自由の奴隷になっていたのではないか?
それはきっとドイツの心理学者エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」が指摘した自由なのだ。
つまり“消極的な自由”、“権威や服従からの自由”に過ぎず、“積極的な自由”、“意志や希望への自由”の獲得ではなかったのだ。

エーリッヒ・フロム(1900〜1980)

冬の波風が漣を煽るように吹きつけた。
波はどれひとつとして同じ形象を繰り返さず、まるで意思を持っているかのように打ち寄せている。
そこには、黄金の海原に踊る潮に生命の息吹を秘めた心臓の鼓動が呼び覚ますように私の足元にまで押し寄せる。
この潮と波のようにどれひとつとして同じではない未来を歩んでいこう、と私は午後の太陽を見上げ続けた。……

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